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特別な場所

〈松山鉱山〉の工場敷地は、まっすぐな鉄道とゆるやかにカーブする国道に挟まれ、ちょうど胃袋のような形をしていた。
その胃袋の真ん中より少し上あたりを、小川が斜めに横切るように流れていた。
工場では、この小川の水を使って土を精製していた。
砕いた山土は大量の水と混ぜて撹拌され、不純物を取り除かれたあと、コンクリート製の四角いマスに送られる。
沈殿槽と呼ばれるこの大きな四角いマスは、製品を乾かす乾燥棚と同じく、工場敷地のあちこちにあった。
簡易な柵で囲われただけのこのマスは、周囲の騒々しさと対象的に、とろりとした濃い灰色の水面に空を映して静まり返っている。
マスの深さがどのくらいなのか、カナコには検討もつかなかった。
ただ、ここに落ちても誰も気づかないだろうな、と思うだけで足がすくんだ。
カナコは本当に臆病で、小さい頃はお風呂の底が抜けるのを恐れるあまり、浴槽の縁を握って離さないほどだった。

小川は、3キロほど北の山から谷筋沿いに流れていた。
鉄道の高架下の開渠を通り抜けると、泥にまみれた工場の喧騒は嘘のように消え、のどかな里山の風景が広がっている。
園子もカナコも、幼い頃からここが大好きだった。
祖母と一緒にツクシやワラビを採ったり、小川に入っておたまじゃくしやタガメを捕まえたり、夏の夜はホタルを見に来たり、子ども会で肝試しをしたり。
飼い犬のハチを毎日散歩に連れてくるのもここだった。
めったによその人に会わないのをいいことにリースを解いてやると、ハチは大喜びでそこいらじゅうの田んぼの畦道を疾走するのだった。
(ビニールハウスに穴を開けてしまい、あとで叱られたこともあった。一度はなんと、犬なのに臭い肥溜めに落ちてしまった!)

園子にとってもカナコにとっても、そこは特別な場所だった。
ひとりでのびのびと自由に行動したい園子と、いつも誰かと一緒にいたがる甘えん坊のカナコは、子ども時代は決して相性の良いコンビではなかった。
カナコには、姉が何を思いながらこの場所に来るのかは、まったく想像もつかなかった。子ども時代の四年の差は、やはり大きい。

それでも、姉と自分は通じ合っているとカナコは(勝手に)信じていた。
この場所が自分たちにとって、堺家の祖父母の家と同じか、それ以上に大切な心の拠り所になっているということもわかっていた。

大きくなってからもカナコは、家や学校で嫌なことがあると必ずこの場所を自転車で訪れた。
道が山の雑木林に消えてしまうところまで来ると、樹の下に自転車を止めてぼんやりと過ごした。
頭の上には山に囲まれた空がぽっかりと青く抜け、飛行機雲が頼りなげな模様を描いている。
山の木々の色、鳥の声、草の匂い、風の音、虫の羽音…
まるで目と耳だけになったようにぼうっと過ごすうちに日が暮れてきて、重い足で自転車のペダルをこいで家へ戻った。

また明日も学校で誰かに嫌味を言われたり、意地悪されたりするだろうか。
家のなかで言い争いや怒鳴り声を聞くことになるだろうか。
また明日もここへ来て泣くことになるだろうか。

学校の休み時間、行き帰り、嫌なことがあったら、頭の中だけでずーっと音楽を聴いている。
家にいるときは、図書館の本を開き、物語の世界に入っていく。
そうすれば、嫌なもの、騒々しいもの、怖いものから少しは身を守れるから。
でも、それでは無理なときがある。そのときは、ここに来る。

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