てぷ

中部地方在住 50代女性 文芸翻訳者から脱皮中

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最近の記事

怪物

祖父は、カナコが中学3年生のとき、朝の散歩中に心不全を起こして急逝した。 残暑の厳しい、9月のはじめだった。連絡を受けて授業を早退したカナコは、仏間に寝かされている祖父の遺体と向き合った。 「倒れているのを、農家の人が見つけてくれたの」母が目をうるませながら言った。 79歳で耳はかなり遠くなっていたものの、祖父はまだ元気で、この日も温泉に一泊旅行に出る予定だった。 それどころか、また首長選挙に出るつもりでいた。 カナコはセーラー服のまま、仏間に寝かされている祖父の遺体を前に

    • 特別な場所

      〈松山鉱山〉の工場敷地は、まっすぐな鉄道とゆるやかにカーブする国道に挟まれ、ちょうど胃袋のような形をしていた。 その胃袋の真ん中より少し上あたりを、小川が斜めに横切るように流れていた。 工場では、この小川の水を使って土を精製していた。 砕いた山土は大量の水と混ぜて撹拌され、不純物を取り除かれたあと、コンクリート製の四角いマスに送られる。 沈殿槽と呼ばれるこの大きな四角いマスは、製品を乾かす乾燥棚と同じく、工場敷地のあちこちにあった。 簡易な柵で囲われただけのこのマスは、周囲の

      • 堺医院とビヤローゲン

        母の付き添いなく各自でレッスンに通うようになっても、園子とカナコはかわるがわる堺家を訪ねた。 城下町のなだらかな坂の中腹にある祖父母の家は、道路から奥まっていて静かだ。 そこはいつも居心地が良く、穏やかで家庭的な空気に満ちていた。 しかしカナコは、堺の祖父の診療所も好きだった。 ほとんど病気らしい病気をしないカナコも、幼い頃からお腹が張ってつらくなることがあり、ほかの患者さんのいない時間に祖父に診てもらうことがあった。 診療所は、堺家のある坂を下った突き当りの通りをしばらく

        • 大切な娘が嫁ぎ先で苦労して体を壊したことがショックだったのだろう。 園子とカナコが成長するにつれて、堺家の祖母の口から松山家に対する否定的な言葉が出るようになった。 敦子がお嫁にいったとたん、それまでいた女中さんが暇を出されたのよ。 宗男さんの下にまだ学生のきょうだいが三人もいて、食事作りだけでも大変だったのに。 しかも、離れの工事が遅れて、長いこと寒い場所で寝起きさせられて。 最初のお産が重かったのはそのせいよ。 母は、カナコが生まれるまえにも、一度倒れている。 台所で

          堺家の祖母

          「敦子ほど子ども思いのお母さんは、この世にいないわよ。 園ちゃんもカナちゃんも、本当に幸せ。お母さんに感謝しないとだめよ。 どんなことがあっても、お母さんを悲しませることだけはしたらだめよ」 おそろいの水色のスモッキング・ワンピースを着て、堺家の居間のソファに並んで座った園子とカナコは、レディ・ボーデンのバニラアイスを食べながら祖母の言葉に神妙に耳を傾けた。 アイスクリームは、琥珀色の上品なガラス器に専用のディッシャーで美しく盛り付けられていた。 テーブルは、このあいだま

          堺家の祖母

          家と子ども

          園子が中学生になった年、国道に続く坂の上に事務所が新築された。 それまで事務室だった本宅の正面部分は、ガラス扉を締め切って仕切り壁を設け、他の部屋と同じ床の高さの洋間に改装され、園子の部屋になった。 父の仕事部屋だった隣の六畳間は、カナコの部屋になった。 それまで姉妹は、奥の玄関の上がり口の四畳半に勉強机をふたつ並べていたので、よそから人がやって来るたびに最初に声をかけられ、家族に取り次がなければならず、落ち着かないことこの上なかった。 「松山さーん、回覧板」近所の同

          家と子ども

          松山家の姉妹

          カナコは、四つ上の園子からありとあらゆるお下がりをもらって大きくなった。 服や靴やかばんはもちろん、おもちゃ、絵本、三輪車。保育園や小中学校の制服、体操服に水泳着。算数セット、お裁縫箱、彫刻刀に至るまで。 名札の「園子」の文字はマジックで塗りつぶされ、隣に「加奈子」と書き直される。 そこはもう、そういうものだと小さい頃からあきらめていた。 それに、姉の園子は幼い頃から物持ちがよく、服もおもちゃもきれいなままカナコに譲ってくれた。もちろん、自分が要らなくなったものだけだ

          松山家の姉妹

          祖父のこと 1

          松山家は、祖父と祖母、父と母、そして長女の園子、次女のカナコの6人家族だった。そして、田舎で事業を営む松山家において、最高権力者はむろん祖父だった。 祖父は、明治生まれらしく、威厳に満ちていた。 背が高く、顔立ちも精悍できりっと引き締まり、さながら歴史の教科書に出てくる軍人か、政治家のようだった。 実際、祖父は若い頃に中国へ出征している。それに、商売よりも政治のほうが性に合っていた。 祖父は先代から〈松山陶土〉を引き継いだが、経営にはあまり身が入らず、カナコの父が大学

          祖父のこと 1

          穴を掘る家 2

          鉱山で掘り出された土は、工場で精製され、窯業原料として出荷されていた。 毎日毎日、ダンプトラックがひっきりなしに鉱山から土を運んできた。 カナコはよく事務所のまえの石段で遊んでいたが、国道から続く坂をダンプトラックが土煙を巻きあげながらおりてくるのが見えると、あわてて耳をふさいだ。 ほとんど黒に近い深緑色の車体に〈松山陶土〉と社名を白抜きした10トントラックが、轟音を立てながら坂をおりてくる。 そして、カナコが座っている事務所の石段の前で方向転換し、巨大なカマボコ型のト

          穴を掘る家 2

          穴を掘る家

          カナコの家は、山に穴を掘って土を採掘する事業を曽祖父の代からつづけてきた。 採掘現場の一帯は、かつて湖の底だった。カナコはそれを、小学生のときにはじめて知った。父が教えてくれたのだ。 「山の上に湖があったの?」 机に図面を広げている父に、カナコは尋ねた。 「ちがう。山はあとだ」父は、黒縁めがねを光らせて図面をにらみながら、ぶっきらぼうに答えた。 「じゃあ、湖が山に変わったの?」カナコは目を丸くした。 父はカナコを無視して図面に顔を近づけた。びっしり記された等高線を

          穴を掘る家

          はじめまして

          これから少しずつ物語を書いていきます。

          はじめまして