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堺家の祖母

「敦子ほど子ども思いのお母さんは、この世にいないわよ。
園ちゃんもカナちゃんも、本当に幸せ。お母さんに感謝しないとだめよ。
どんなことがあっても、お母さんを悲しませることだけはしたらだめよ」

おそろいの水色のスモッキング・ワンピースを着て、堺家の居間のソファに並んで座った園子とカナコは、レディ・ボーデンのバニラアイスを食べながら祖母の言葉に神妙に耳を傾けた。

アイスクリームは、琥珀色の上品なガラス器に専用のディッシャーで美しく盛り付けられていた。
テーブルは、このあいだまであった重厚なオーク材ではなく、軽やかな籐製になっている。ガラス天板の下に白いアンティークレースが敷かれ、なんとも涼しげだ。

冷えたカルピスが並々と注がれた切子細工のグラスを、カナコは用心しながら持ち上げた。重いうえに、表面に水滴がびっしりついて滑りやすい。

グラスにはストローだけでなく、ト音記号の飾りがついたかわいらしいマドラーが添えられていた。
音楽教室に通っている孫娘たちが喜ぶように、天神アーケイドの雑貨店で買ってきたものだ。

堺家の祖母は、そのように何事にも神経の行き届いた人だった。

「敦っちゃんはいつも疲れた顔をして、本当にかわいそう」
週に一度の音楽教室のレッスンの帰り、カナコたちが堺家に寄ると、祖母はいつも憐れむように母を見た。

田舎の大きな家に嫁ぎ、家事と子育てに追われていた母にとって、娘たちの習い事のあいまに実家で過ごすひとときは、貴重な息抜きだった。

園子とカナコが居間でおやつをもらっているあいだ、母は隣の小さな和室でシュミーズ姿になり、昼寝用の小さな布団やござで仮眠をとることが多かった。

帰りの電車に間に合うよう、祖母が母を起こして帰り支度を手伝うまで、園子とカナコは本棚から取ってきた「サザエさん」や「暮しの手帖」を読んで待っていた。

堺家の祖母は、語りの名手だった。
昔語りがはじまると、居間はたちまち戦前の日本にタイムスリップした。
ときに懐かしそうに、ときにおかしそうに、目に涙を浮かべたり、苦悶の表情を浮かべたりしながら、祖母は自らの生い立ちを語った。

まだ物心つかないうちに、母を結核で亡くしたこと。
それを不憫がった父に溺愛されたこと。
その父も早逝し、母方の祖母に引き取られ、宝物のように大切に育てられたこと。

若い娘が手を荒らしてはいけないからと、一切の家事を手伝わされす、代わりに料理の手順を目で見て覚えさせられたこと。
お風呂のあとは全身にヘチマ水を塗り込んでもらい、眉毛一本抜くのもおろそかにせず、肌や髪の手入れをしてもらったこと。
とてもきれいだけど、親を早くに亡くしたせいか、どこか寂しそうだとまわりから言われたこと……。

祖母は、弟の大学試験に付き添って行った広島の宿泊先で、ひとりの年上の女性に声をかけられ、親しくなった。
後日、突然その女性が家を訪ねてきた。
散歩に誘われて公園を歩いていたら、知らない男の人がついてくる。
不安になっていると、その女性の弟だと知らされ、驚いた。
誘われるままに、三人で食事をした。
よく知らない人と食事などして、帰ったら叱られるだろうと心配しつつも、祖母はその男性の笑顔がなんとなく父に似ている気がした…。
数日後、先方から正式に申し込まれ、結婚することになった。

堺家は代々医者の家系で、祖父は大連の日赤病院に赴任が決まっていた。
当時の大連といえば旧満州の玄関口であり、パリ、ニューヨークに次ぐ国際都市だった。
特権階級として渡った日本人は、華やかな暮らしを謳歌していた。

生まれて初めて海を渡った祖母も、大連港の前に広がる光景に息をのんだ。
放射状に伸びる広い大通り。立ち並ぶ白い石造りの西洋建築。
それまでのつつましい田舎暮らしから一転、夢のような生活が祖母を待っていた。
百貨店に服を買いに。
ヤマトホテルのアフタヌーンティーを楽しみに。
封切りのマチネーを観に。
どこへ行くにも二頭立ての馬車で、お付きの女中もいて。
園子とカナコの母が生まれたのは、そんな時期だった。
夢の生活は、しかし、長く続かなかった。

祖母は、たったひとりの弟を18歳で亡くしている。
敗戦間近に招集され、乗った船がフィリピン沖で撃沈された。
知らせが届くまえ、祖母の夢枕に弟が現れた。
「お姉さん、お姉さん」と、遠くから何度も呼びかけたという。

日本が敗戦国となったあと、一家は最後の引揚船で帰国した。
ロシア軍に捕まりシベリアへ抑留されることを恐れた祖父は、医師の身分を隠すため、全財産をなげうって、とある筋から偽名を入手した。
医師免許は、当時七歳だった母の抱き人形のなかに隠した。

故郷に戻ってしばらく親戚の援助を受けたのち、祖父は小さな医院を開いた。そして今は祖母とふたり、静かな生活を送っている。

園子もカナコも毎回、祖母の昔語りに圧倒された。
長い物語が終わり、堺家の居間に現実の時間が戻るまで、しばらく頭がぼうっとして、庭先の鳥の鳴き声や虫の音が、異様なまでに耳についた。

一流の語り手であった祖母は、園子とカナコの母のことも語り聞かせた。
医者の家で何不自由なく育った娘が、松山家に嫁いでいかに苦労したかを、何度も何度も繰り返す。

そうしていつも最後に、冒頭の言葉で締めくくるのだった。


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