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朝なんて来ないでほしい癖に、綺麗な朝日は見たいのだ

こんな様になってまで、「朝なんて大嫌いだ」とは言い切れない私。 




朝は美しいもの。
……というのは、自分とは関係ない誰かにとっての話であって、自分の話ではないと思っている。

少なくともここしばらくの私は、朝と仲良くできていない。
だからといって昼や夜は調子が良いのかと言えば、断じてそういうわけではないけど。
ただ、朝と言えば大抵は、起きた瞬間に言いようもない絶望感に似た何かに襲われる時間か、眠りたくても眠れない地獄のような夜を越してしまった合図か。
とにかく十中八九いい気持ちはしない。


一体、「気分の良い目覚め」とは一体どんなものだったのか、もはや忘れちゃいそう。
いや、忘れてしまったかもしれない。

昔はとても目覚めの悪い子どもだった。
だけど気がつけば、すっと起きられるようになっていた。
最近なんてほんとすごい。
アラームがなくても起きられる。

だけど正直、起きたときの気分は、昔起きるのが苦手だった頃よりも悪い。


本当にどう言語化するべきか、目覚めた瞬間に襲うあの感覚。

絶望感の一種であることは間違いないけれど、もっと寂しさとかノスタルジーとかのニュアンスが強いような、それもまたなんか違うような。

ただ確かに知覚できるのは、目覚めていつもの部屋の天井を視界に捉えた瞬間、既にその日を生きる心のエネルギーが底を尽きたような感触。

とはいえ、目覚めだけは良いもんだから起き上がるのは容易だし、朝ごはんも余裕で喉を通るのだけれど。
ただ、それすらも何だか気持ち悪く感じてしまう。
どうして身体は動くのだろう……と。
まあ、それも言葉にはし難い感覚なんだけど。
……ん、でもたまに目覚めてはいるけど起き上がれない日もあるな。
まあそれぐらいあるか。


はて、何の話がしたかったのか。
いつにも増して結局自分は何が言いたいのかよくわからない。

とにかく朝は形容しがたいマイナスの感覚を心に運んでくる。
たぶん、それ以上でも以下でもない。

そうしているうちに、朝を楽しみにするなんてできるわけがなくなる。
朝が来たら、また嫌な思いをする。
それが経験則として、たぶんもう身に沁み込んでしまったから。
朝なんて来ないでほしい、そう意識の水底で揺らめきながら、眠るという一日のとっても難しい試練に毎夜挑む。


そのくせ、朝自体については美しいものというイメージも消えない。
画面越しに見るどこかの朝の光。
別に観光名所とか雄大な自然とかじゃなくたって、どこにでもあるような朝の陽射し。

大抵のものは肉眼で見るのが一番綺麗だろうけど、私にとっては朝日が例外。
画面越しに見る美しい景色を、いつか肉眼でも見てみたい。
それが叶うのはもう少しだけ遠いお話か、あるいは金輪際訪れないお話。

この目で見た朝日を心から美しいと思えたら、また何かの形にしよう。
それぐらい、綺麗な朝日は尊いものだと信じてしまう。
ほら、どれだけの名曲が「夜は明ける」「朝日が昇る」と言っていただろう。


……とまあ、そんなのは美的な話だ。
結局、自分と朝の不仲は美感とはまたちょっと別の話でしょう。
朝、目を開いた瞬間に襲い掛かる絶望。
そういえばその時この目に映るのは、いつもの部屋の景色。

なるほど、起きた瞬間に目に映る景色が変わるように、部屋を模様替えすればいいのかもしれない。

さて、そんな元気はどこから出してこようか。
片付けでさえ苦手なのに、模様替えなんて尚更。



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