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クリスマスは、擬似終末体験

ただただ、クリスマスシーズンが好きだ、というだけの話。
私なりの切り口で、クリスマス愛を語ってみたい。






時間の流れは早く、また冬を運んできた。
すっかり、コートや手袋、イヤマフを手放せなくなってしまった。

お店にはラッピングのコーナーが特設され、年に一度の職務を控えた私服姿のサンタさんたちが群がる。
私も群れに入って、包装を選ぶ。
そういえば、自分もまたサンタクロースなんだっけ。


煌びやかな街。
笑顔の子ども。
浮かれた大人。

クリスマスの景色。

そんな、幸せそうな光景が、私は好き。
たとえ、それが幸せ「そう」なだけと知っても。


だけど、そもそも私は大してイベントごとが好きな性格じゃない。
ハロウィーンだって、お菓子なんて準備しちゃいないし、かといってそれでイタズラされたら普通に怒る。

言ってしまえば、クリスマスであっても別に自分が特別やりたいことなんてない。

それなのに私がクリスマスを好きなのは、たぶん、年の瀬のイベントだから。
こんな年末じゃなかったら、きっと私は別にクリスマスを好きになっていない。



一年の終わり。

年が明けたって、その瞬間から何かが劇的に変わってしまうことは少ないのだろうけど、それが「終わり」であることに違いはない。


「終わり」まで一週間。

大掃除したり、年越しの準備をしたり、来年の目標を考えたり。
そういうことならできるけど、今年成し遂げなかったことを「もうすぐ年が明けるから」って取り組み始めるには遅い。

そういう時期に、一大イベントのクリスマスはやってくる。


あんなに一年の末も末なのに、クリスマス自体に年末を思わせる要素はない。

ただクリスマスのイベントを催したり参加したり、大切な人と過ごしたり、子どもたちを笑顔にしたり、思い思いにその日を過ごす。

それがまるで、みんなが集団で一年の「終わり」から目を逸らし、ただ「今」そのときを楽しむことを選んでいるように見えた。


とても陳腐で極端な妄想なんだけど、本当に世界が終わるとき、人はどんな生活を営むのだろう。

人々が終わりを知ったとき、そして本当の終わりの終わりのとき、きっとパニックで治安なんてあったものじゃない。
だけど、その終わりの瞬間の少し前、現実逃避をするように、盛大なパーティーにも似た浮かれた世界が生まれるタイミングが訪れるのではと思う。

クリスマスはなんだか、それに近いような気がする。


時は一年の終わり。
今年成し遂げたこと、成し遂げられなかったこと。
楽しかったこと、悲しかったこと。
一年の後悔、思い出、今年という時間との別れ。
来年は何をしよう。
将来、どんな自分になりたいのか。
そのための、今年の反省。
「年末」という時間の存在は、私たちの心を駆り立てる。

それらをまるで頭のどこかへ追いやって、今に逃げる。

別に、クリスマスになってもそれらが消滅するわけじゃないんだけれど、幸せを浴びようとする人々で溢れる街の景色は、それを忘れさせてくれる。

不安や憂鬱、感傷や哀愁に、圧倒的な幸せをもって蓋をする。

みんなでそんな世界を作っている。

そういう景色が、私は好き。
作り話でもなかなか再現できない、言葉にならぬ感情がそこにある。



集団現実逃避。
疑似終末体験。

本当の世界の終わりは迎えたくないから、一年の終わりに疑似的な終末の感傷に浸る。
そういうクリスマスの楽しみ方をしてもいい、と私は思う。



最後に、私が好きなクリスマスソングを。
メリークリスマス。

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