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「リアリティ」は誰のもの?

「トゥルーマン・ショウ」という映画をみなさんはご存知でしょうか?50日間の夏休みに入った私が、最初に観たのがこの22年前の映画で、今のこのSNSやリアルを切り出す社会だからこそ考えさせられた話でした。

(このシリーズでは、退職によって50日間の夏休みを手にした30歳元動画IT系OLの私が、コロナで自粛の今だけどやりたいことをやる!その中での気づきや行動を記録していきます)

生まれた瞬間から全世界生放送

「トゥルーマン・ショウ」
それは生まれた瞬間から大人になるまで、完璧にセットされたテレビのセットの街から、リアリティショーとして全世界で24時間365日生放送されながら育った男の話。
※ネタバレあり

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(キービジュアル:Amazonより。Amazon PrimeやNetflixで観られます)

全世界の人々はその様子をリアリティショーとして観て、番組中に使われる商品をスポンサーから提供を受けることで、マネタイズするというシステムだ。

主人公だけがそのことを知らない

そして世界中の人がこの企画と彼を知っているが、彼だけがそのことを知らない。
彼のリアルが、リアリティーショーとして売られている。

家族も親友も本当は「俳優」で、彼にかける言葉も全て「台本ありの演技」。

一人の人生をプロデューサーが演出し、「本物のリアル」として全世界に届けている。

彼が初めて一人で歩いた様子、誕生日に喜ぶ様子、初恋の様子…を生中継し、全世界の人々がエンターテイメントとして心を動かし共感して涙するのだ。

リアルな人の喜怒哀楽と起承転結をみんなが消費している。
そして彼はまったくその事実も、視聴者の存在も知らない。

「リアリティ」って?

もちろんこれはフィクションの話だから、この前提はめちゃくちゃ極端。もし仮にこれが現実にあったら、
「人権侵害だ!」
「個人のプライバシーはどうなってる?」
「こんなのを見る人の気がしれない」
っていう反発が大半だと思う。

でもちょっとだけ立ち止まって考えたい。
今この世の中で、SNSがあることで個人のリアルがコンテンツになって、それが一般的に視聴されるようになって、マーケティング方法として企業が活用できるように確立するまでになったよね。

日記はブログとして公開するし、
オススメのお店は食べログに投稿するし、
ちょっと高価な買い物はInstagramにあげちゃうし、
誰かの面白いアイテムや情報はTwitterに投稿したりRTするし。

企業の広告ではなくて、誰かの口コミやエピソードの方が好まれて「リアリティ」がコンテンツになった。
大抵のひとは自分の全部のリアルをさらけ出しすぎてはいないけど、ある程度切り出して世に出しているよね。
それで得られるチャンスもあるし、それで新たに本業とは別にお金を得ている人もいる。

そして「リアリティショー」。
もはやリアルそのものを売りにするドラマが生まれて、ポジティブな感情もネガティブな感情も、みんなの深い熱狂を産むまでに至った。

「リアリティ」は真実であり、正しくて、面白い。
私たちはリアリティを買っている。

ある日、彼は気づく

そしてストーリーは、そんな彼が周囲や状況の違和感に気づき出す。

空から照明が降ってくる、
突然突拍子なことをしても誰も驚かない
ただの自動車と通行人が、いつも規則的に家をぐるぐる回っている
…など。

そして彼はある演者から「周りが全て偽物でこれはショーなんだ」と真実を教えられた。

彼は海へ出て、その世界から脱出を試みる。
その海も番組のセットで、人工的に起こされる嵐も乗り越えた先は…壁。

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写真:真実は隠蔽されている!『トゥルーマン・ショー』と、たくらみに満ちた世界

どこまでも広がる海だと思っていた、その世界の果ては「壁」。
彼の「リアリティ」が世界中の人々にエンタメをもたらすのと引き換えに、隠蔽されていた真実のこの壁にたどり着く。

この世界を抜け出せる脱出扉を目の前に、プロデューサーに問われる。
「君のリアリティは世界中の人を幸せにしている。
 外は嘘にまみれ、この作られた世界こそ嘘のない真実の世界だ。
 それでもこの世界を抜けるのか?」

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Netflix:「トゥルーマン・ショー」本編)

いまや誰もがこの「出演者・視聴者・プロデューサー」になり得る

"リアリティ"って結局誰のものなんだろう?

私も
 Twitterで自分のリアリティを発信する側にも、
 Instagramで誰かのリアリティを消費する視聴者にも、
 仕事でインフルエンサーと一緒にそんな企画を作る側にも、
いつも、いずれかにはなっている。

この映画とこの三者を観て、社会が進化するための柔軟さは残した方がいいけど、やっぱり「リアリティ」はその人の人生そのものであって本人のものだ。

そして最近のSNSでのポジネガ両方の盛り上がりを見ていると、「リアリティ」に対する敬意って改めてめっちゃ大事なんじゃないかと思う。

いま私たちがどこまでも果てしないと思っている海は、実は壁なのかもしれないし、むしろその壁を生み出しているかもしれない。

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(このシーンが好きすぎて、見出し画像用に描いちゃった)


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