見出し画像

「好きな人に振り向いてもらえない人生だった」って思う前に。

幼い頃から第一志望には受からず、だいたい第二志望に行っていた私へ。

中学受験も大学受験も就職も好きな人もポジションも。私はだいたい第一志望としていた理想ではなく、第二志望に落ち着くことが多かったよね。


今回、そんな私自身に言いたいことがある。


第一志望に入れなかったのは「そこに何としても入るための努力が足りなかった」っていう要素もあるけど、改めて振り返ると、「私が求めていたこと」と、「世の中が私に求めること」は分かっているようで分かってなくて、だいぶ違っていたんだよ。


行きたかった中学は、流行りのファッションを纏って、もうすでにキラキラしている子達であふれていた。
でも行った中学は、ギャルからオタクまでいろんな趣味や価値観の子がいたけど、自分さえ満足してればそれでよくて、誰かをディスったりすることなくお互いを尊重していた子達に囲まれた。


行きたかった大学は、やりたいこととはちょっとズレてたけど歴史と知名度に溢れる老舗大学。
でも行った大学は、新設の学部でまだまだ授業は手探り。でもやりたかったこととピッタリな大学で、最終的に成績も上位の方に入れた。


行きたかった会社は、バリバリの大手広告代理店だった。
でも行った会社は、小回りが効いてて個性を尊重してくれる、あたたかい中規模のベンチャー企業だった。
憧れの大企業はいつも書類やちょっとの面接で落ちてしまい、時間をかけてたくさん何度も話してくれた温かみのあるベンチャーへ自然と入社した。


私がやりたかったポジションは、イケてる企画を作りまくるプランナー。
でも私に求められたポジションは、スケジュールと大量のメールと数字を常に見ながら案件をゴリゴリぶん回して進める進行ディレクター。
夢のようなかっこいいクリエイティブを発案する仕事よりも、地に足ついた進行管理や推進や調整、効果検証の方がありがたがられた。


私が好きになる人は、私とは相容れないくらい異なる独自の世界観を持った人。
でも私を好きになってくれた人は、私の世界観に共感してくれる人で、私と世界を一緒に見ていたいと願う人だった。



いつもいつも、私はどうしてか典型的でキラキラしたものに憧れていたけど、いつまでたっても近づけなくて、ずっと遠くから眺めていた。

キラキラの世界は結局、私を求めていない。
入場門はいつも閉鎖中。「私はあなたがいいんです」っていうしたためた願書を私が書いてても。


もちろん第一志望じゃないところへ進んでも、その時どきでの最高の出来事やかけがえのない人に出会ってきた。

でもね、やっぱりたまにチクリと思う。
仕事も人間関係も、お互い「私と相手の"好き"」、第一志望同士がハマった両思いの瞬間も僅かながらにもあって、その時はめちゃくちゃ最高なわけでさ。

ずっと憧れていたことを、好きな人に囲まれ、好きに振る舞える。
そんなときは最高のパフォーマンスが出せて、夢見心地になれた。
これが何にも耐え難く、もっとも人生で楽しくハイになれる瞬間。


だからやっぱり、「私の第一志望」「相手が求めること」がなんとか合うように、合うように、ってすり合わせてね、もがきながらもなかなかそれは叶えられないよ。なかなか今でも。
私は自分のなかの第一志望を諦められないまま、受け取ってくれなかったその願書はいまだにどっかの棚にしまい込んだままだ。



結局、自分がどうなりたいって思ってて、第一志望があっても、全ては「自分と相手とのマッチング」なんだよね。
もちろん自分がどうなりたいっていう思いは相手を変えることだってあるかもしれない。行動したもの勝ちだから、環境を呼ぶかもしれない。

そして結局選べる選択肢は二つしかない。
「自分が望む第一志望を諦めずに、世界中を探し回る」か、
「自分に求められる第二志望に馴染んで、根を下ろす」か。

そしてどっちが正解ってことではない。
私は最終的にどちらを選んでも、それを正解にしていくしかないんだから。

しかし確度高く判断するために「自分が両手を広げて選択できる範囲」が、いったいどこまであるのかこそは、いまきちんと知っておくべきなのだ。

あまりにも第一志望からかけ離れすぎているんだったら、もっと深く対策を考えなきゃいけないんだから。

いまの自分の風呂敷を広げてみて、
いままで何ができて、何ができなくて
これから何が選べて、選べなくて
私は何が許せて、許せないのか。
この両手を広げた私の風呂敷の端から端のサイズを測ってみようよ。



(ああ、これが自分の範囲なのか)

そう、まずは知るんだよ。
そしたら「私は好きな人に振り向いてもらえない人生だった」なんて嘆く前に、「いやいや、まずは私っていったい何?」っていうことが見えるんじゃない?



「第一志望や好きな人に振り向いてもらえない」なんて絶望したとき。

いったん自分が手を広げたときに、どこからどこまでのものが自分の胸に抱えられて、なにが自分の外にあるのか。両手広げて自分の風呂敷を見てみるといいよ。
その風呂敷をどう使うか、そういうことを考えていこ?

少しの励ましが大きな活力になる燃費良い人間です!