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「母が子の名前を書く」宅急便の伝票を見て思うこと

就職を機に一人暮らしを始めてはや7年。距離がそんなに遠くないので、実家に月に1回は帰るたびに食料のおすそ分けをもらって生活の足しにしているが、先日はたまたま宅急便で私の家まで送ってもらった。
当たり前だけど、宅急便の伝票には送り先である私の名前が、母の手書きで書かれている。

何年ぶりに「母が書いた私の名前」という文字を見ただろうか。

一見、そんなに形式張ってなく、さらっと書いたように思えるけど、トメハネはきっちりしており、落ち着いて読める綺麗な文字なのである。

(そういえば母はいつも電話で自分の名前を伝える際、名前を声に出すときだけは超ゆっくり発音する)

クセなど一切なく、読み手に伝わる丁寧な文字。
専業主婦の母はやるべきことはキッチリやりつつも、良い意味で力を抜いて完璧にやりすぎない。
ちなみに私は「口」部分は面倒なとき「○」で書いちゃうくらい雑で、母の要領や品の良さは受け継げなかったが。

そして私の名前は、母が100%オリジナルで決めたものなのである。(父も母に任せていたそう)。
母が海外でも通じるようにと、外国人の友人「エイミー」をもとに「えいみ」なのである。

母は私が生まれて役所に出生届を出した時から、今まで何度私の名前を書いいてきたのだろう。

出生届、病院の診察券、学校に必要な道具への名前、学校の入学書類、携帯の契約、などなどもっとある。
保護者として私の名前を代わりに書き、経済的にも社会的にも責任を負い続けてきていた。
その度に幼い頃から私はお母さんの文字を見て、私の社会における正式な名前というものを認識していた。
そういえば私の名前の「絵」の「糸」部分の下側を、点を三つ連ねるという書き方も、母がいつもそう書くから真似したのだ。

しかし誰しも徐々に、学校のテスや自分の持ち物などを、自分で名前を書き入れるようになっていく。
いつの間にか私の名前も徐々に母の手を離れて、私が私自身が責任を持って自分の名前を記すようになる。

いまは、その点を三つ連ねる書き方を真似しつつ、賃貸、雇用契約、パスポート、銀行、婚姻届(まだだけど)など、人生を決めるいろんな書類に名前を記す。
私の名前は母の手を離れて、自分自身で社会的・経済的に責任を負うのだ。

今回、母の文字を目にして思い出した"親が子の名前を書く”ということ。
これは名付け親にしかできないことで、その子の存在をこの世に定義し、また自立するまで代わりに責任を追うということであり、またこの世において私以外の人が書くことができるサインなのだ。

(身の回りの細々した予約や登録は電子データになりつつあって、手書きはほとんど不要だけど、人生に関わる重要書類は手書きがまだまだ多いしね)


自分の名前を自分で書くようになっても脳裏に焼き付いているのは、どんなに綺麗なデザイナーズフォントにも置き換えられない、母の手書きの私の名前。
もちろん私だけじゃなく、多分世の中全員それぞれの母が書く自分の名前の筆跡・書き方・癖・テイストはあるんだろうな。

そして宅配便の伝票は、宛先だけでなく差出人の名前も書く。
私の名前の下には母の名前が入る。
縦列上下に並ぶ、親子の名前。

受け取り終わった伝票は不要なのに、なんとなく取っておきたくなったから、大事な書類を入れる引き出しにそっとしまい込んだ。
何気ない宅急便の伝票から、ふいに降って気づいた出来事でした。

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