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めまい・自律神経失調・感覚過敏・ネガティブスパイラル・自己否定 そこからの脱却

30代半ばのある日のこと。

ある日突然目の前がぐるぐると回り始めました。あら、回っている、と冷静に思う暇もなく、足元がスポンジのようにぐんにゃりとして立っていられなくなりました。めまいを発症したのでした。

幸か不幸か職場で発症したので、すぐに同僚に病院に連れていってもらったものの近くの病院では正確な診断がつかず。その後、別の病院で「メニエール病」と聞いたものの、私の場合は難聴を伴わなかったのでメニエール病の「疑い」という不思議な診断結果になりました。

このめまいはなかなかやっかいでした。前触れなく突然起こるので、車の運転が出来なくなりました。さらに、「あー、ぐるぐるしているなあ」とうっかり回る景色をじっと見てしまうと吐き気がしてしまう。頻度が高いときは一日に何度もめまいがして立っていられないので、当時勤めていた職場には無理を言って結局退職してしまいました。

退職して家にいても症状がひどいときは何も出来ない上、ヘンなところで倒れたら発見できないからとオットが心配して、ふた月くらいかな、実家に滞在していました。ほとんど寝て過ごしていたので、今から思えば厄介な居候状態でしたねえ。

ある程度元気になったところでオットに迎えに来てもらい、自宅療養しつつ出来ることを少しずつやるようにしましたが、この頃は感覚が妙に鋭敏になってしまっていて、いろいろキツかったですね。

「家にずっといたらヒマだろうから」と、友人がたくさん映画のDVDを持ってきてくれたものの、ちょっと過激なシーンがあるともうダメ。暴力シーンもダメだし、登場人物が死んじゃったりするのも耐えられない。結果的に、子供用のディズニー映画ばっかり見てました。

光が強いのもダメでした。光って案外強い刺激なんですよね。なので、電車から見える広告とかを見ていると苦しくなってくる。

音にも敏感になってしまって、大きい音がすると追いつめられているような感じになりました。意外かもしれませんが、電気屋さんってこの「光・音」刺激が強いのです。元気なときは何も感じませんけれど、この頃は電気屋に入れませんでした。

少しずつ体力を回復させるべく、まずは家から半径500メートルくらいから始めて、ちょっとずつ行動範囲を広げていきました。でも「今日は頑張ってあそこのスーパーまで行くぞ」と思っても、たどり着いたスーパーでめまいがして棚にしがみつくなんてこともあって、本当に少しずつ少しずつ。

ずっと耳鼻科に通っていたのですが、たまたま、そこの先生が漢方薬に通じた方でした。なので、めまいという症状を単にめまいとしてとらえるのではなく、もっと大きく見て、体質改善を目指した処方をしてくれていました。

これが私の場合はばっちり合ったのですね。めまいの改善とともに、冷え性とか、生理痛まで徐々に改善していきました。ざっくり言えば、血流が悪くていろいろ症状が起きていたのでしょう。なので、その後も生理痛がひどいときはこの病院に駆け込んだりしていました。(「生理痛で耳鼻科?」と他の人には不思議がられましたが。)

今はほとんどめまいはしませんが、忙しくてちょっと無理したりすると、たまにクルッと視界が回ることがあります。そういう時はあわてず騒がず、ああ、来ましたか、と冷静に受け止めて、仕事も遊びもセーブして休息をとるようにしています。

当時は仕事を中途半端に投げ出してしまったことや、そのせいで職場の人や家族など周りにものすごく迷惑をかけてしまったことが苦しくて仕方がありませんでした。自分に存在意義はあるのかとか、自分の価値なんてないのかとか、悩んで落ち込んでネガティブスパイラルに陥っていました。

私はダメな人間なんだ、ととことん自分を追い込んで一回自分を地に叩きつけましたけど、今客観的に見ると、いやいや、他人はそこまでアナタに興味はないんだからもっと気楽にしたら、と思ってしまいますね。

もっとも、私は末っ子で甘やかされて育ったせいで、ろくに苦労もせずぬくぬくと大人になってしまったので、そうやっていろいろと苦しんだおかげで他人の苦しみにも(少し)敏感になれたかな、という気もします。