別に理解されなくていい。
「彼女欲しい」
この感情が全く理解できない。
なぜ彼女が欲しいのか問うと、色々な答えが返ってくる。
「単純に性欲」
「誰かに優しくされたい」
「甘えられたい」
そのほか諸々、
ただ、殆どの回答を聞いていてそれが彼女である必要性が理解できない。
別に、それが彼女でなくとも親友でもいいし、彼氏でも良い気がする。
これを話すとゲイと間違えられるが別に僕はゲイでもない。
ってかゲイだと決めつけられるのが怖くてあんまり話してない。
だって、別にその求めているものが彼氏である必要性も感じていないから。
勿論、その求めているものが彼女であっても良いとは思う。
ただそれを彼女と限定する必要性が分からない。
ある人にこの話をしたら、そこに理屈は無く、本能だと言われた。
ここで一つ言いたい。
「彼女が欲しい」
と言う人の言うことは理解できない。
が、そう主張する人は僕が「彼女である必要性が分からない」と主張することと同じくらいにそれが普通だと考えているのだろう。
別にそこは互いに理解する必要はないと思う。
彼らの主張することを僕が理解する必要も、
僕が主張することを彼らが理解する必要もない。
ただ、それは決して消極的なアプロ―チではない。
どちらが正しいわけでもなく、どちらも正しいと思う。
理解せずとも、そういう風な考え方なんだと認め合えれば良い。
別にどんな考え方を持っていても良い。
ただ、それを本能だとか言って「当たり前」として強要することは絶対にしてはいけないし、されて不快に感じる。
僕も気を付ける。
これはどちらかと言うと僕への戒めの文章。
理解せずとも認め合えばいい。
存在否定はしなくていい。
自治組織についても、部活動についても、思想についても、以下同様。
互いの違いを認め合うって、こういう事なんじゃないかなと。
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