そうして悩みは消えていって、次の悩みが僕らに生まれる。
どうして悩みは尽きないのだろうかと思う。ある悩みがそれとなく解決しても、また次の悩みが生まれてくる。何も悩みのない時間なんてあるのだろうか?と思うくらい、大きな悩みから小さな悩みまで、いつも絶えることがない。
今、抱えている悩みを考えて、ふと、思ったのだけど
「そういえば、この前の悩みは何だっけ?」
気づけばもう、忘れてる。
つい最近のことなのに、今の悩みを思うようになって、すっかり心から消えていた。もしかして、人がこうして悩みが尽きないのは、実はその悩みを消すために、次の悩みが生まれるからかもしれない。たぶん人は、一度にいくつも思い悩むほど、高尚には出来ていないのだろう。
なんて・・・
本当に神さまは意地悪だなぁ。それじゃ何の解決にもならないじゃないか。どれだけ人に辛い思いをさせれば気が済むというのか?まったく!人になんの恨みがあるんだよ!と、つい、毒づいてしまう。
でも・・・ふと、こうも思った。
新しい悩みが生まれて、その前の悩みが消えるのならば、今の悩みもまた、同じように、新しい悩みが生まれれば、すぐに消えるんじゃないのかと。
所詮、悩みってそんなもの。
たぶん、今の悩みは、また、次の悩みが生まれるまでの、ただ、そのための繋ぎに過ぎない。神様が僕らに意地悪したくて、もしも、そう仕組んだのならば、僕らはこう、思えばいいんだ。
なぁーんだ、そうか。今の悩みはまたすぐ消えるんだなと。次の悩みの繋ぎに過ぎないんだなと。そう思うとなんとなく、心がとても軽くなる。
理由はわからないけれども、絶えることのない”悩み”は多分、生きる上での、神様が与えた必須条件なのだろう。
たとえば各駅に停まる電車のように、悩みがひとつの駅だとして、しばらくその駅で待つことになっても、やがて電車はまた走り始める。そうして僕らは、風や景色を楽しんで、また、次の駅でしばらく待つんだ。
また、発車のベルは鳴る。そして電車はまた走り出す。そうして悩みは消えていって、次の悩みが僕らに生まれる。
「ほら、またやって来た」
そんな気持ちで口笛でも吹くみたいに、神様の気まぐれなイタズラに、だまされたふりをすればいい。そして時々、後ろを向いて神様に、子供みたいな意地悪な笑顔で、あっかんべーをしてやればいい。
そうすれば、人生はちょっと、楽しくなる。
ほら、また来たよ。
もう、さっきの悩みは消えていったよ。
次の悩みも、またすぐに消えるよ。
きっとね。
最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一