言葉と心のあいだには。

昔、パソコンがまだなかった頃、私はワープロで短い日記を書いていた。それがいつしかさらに短くなって、やがて詩になっていった。

あの頃、いろんな辛いことがあって、誰も慰めてくれなくて(それは単なる甘えだ)それでわざと言葉の中で、私はいろんな人になって(ある時は女性に。ある時は少年に。)誰かに向けたような言葉で、本当はこんな弱い自分を励ましてた。

今もそれと、なんら変わらない気がしている。

人生は、苦しいことを苦しいと、なかなか素直に言葉に出来ない。哀しいことを哀しいと、言えば誰かが弱者とみなして、たちまちその人を置き去りにしてゆく。残酷だけど、それが現実。

その現実に私たちは、いつだって立ち向かい、間違いと気づいた心さえも、どこかで見ないふりをしなきゃならない。だから時として泣ける場所を、ちゃんと用意しなきゃならないんだろう。

・・・なんて思う私がいます。

先日、久しぶりにある友達に逢った。その人はとても辛そうで、なんだか生きていることでさえ、肩で息をしているような感じだった。頑張っているその人は、努力することで改善しようと、躍起になっているのだけれど、それが空回りしているように見えて・・・。

私はふと、こんなふうに思う。

人生なんて澄んだ空によく似ている。一見、美しいけれどもそこには、虚しいくらいに何もない。だから人はずっと同じ場所には居られない。やがて生まれた雲のように、たちまち流されてゆく。そしていつしか消えてゆく。人もその大切な心も。哀しいけれど、努力しても報われない。伝えたいことが伝わらない。すべてはただ、流されながら変わってゆくしかないような気がして。

人と人とのあいだにいる限り、私たちは時として向う場所が、わからなくなってしまうような時がある。

そんな時は本当は、黙ってそばにいるだけで通う心の形もあるけど、そんな時間も限られている。だから私は言葉を残したい。たとえそれが短くて、果てしなく不器用な言葉だとしても、伝えたいものがある限り、誰かに向けて、自分に向けて、ただ、残し続けていたい。

・・・なんて、その人を見ていて思った。

最後に別れるときに、明るくあの人は手を振ってくれたけれど、もう、会えないような気がして、なんだかとても切なくなった。

・・・頑張って。
・・・頑張らないで。

とても伝えたいはずなのに最後の言葉がうまく言えない。言葉と心のあいだには、それを伝えるためだけの時間が必要なのだろう。そのために、私はこうして言葉と想いを残していたい。いつか届く、それだけを願って。

・・・なんて思う私はやはり、ひとり、ワープロで綴ったあの頃と、たぶん何も変わりはしない。

それでも今は、それがうれしくてたまらない。

最後まで読んで下さってありがとうございます。大切なあなたの時間を使って共有できたこのひとときを、心から感謝いたします。 青木詠一