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英語と寺社

こんにちは

さまさんです。今日も読んでくださりありがとうございます。


さて、一見無関係なような今回のタイトルですが、私の中では切り離せないこの二つ。それはなぜか?


それは20年くらい前今も忘れられない外国人との会話からなのです。

関西に住んでるということもあり、ある日の会話で、神様や仏様の話題になり、話しの流れで『八百万の神々』や仏も、お釈迦さまや観音様、お地蔵さんなど一人ではないと私が答え時に相手の言葉に愕然としたのです。

「私が信じる神はただ一人、Jesusだけなのに日本人の神は、なぜそんなに沢山いるのか?」「Buddaも自分の知る限り、インドで生まれた人その人一人ではないの?」

と返されたのです。


自分がこれまで育った環境では、神、仏の種類はたくさんあり、そこに疑問を待たずに当然のように受け入れ、共にこれまで生きてきた。そのことが、別の違う環境で生きてきた人からすると疑問になるということに驚きを隠せなかったのです。

当時それ程寺社に詳しくなかった私はすぐに答えられなくて、「とにかくこれが日本人の宗教観で私たちはそこに疑問を持たない」と、ばっさりと話題をぶった切る答えしか出来なかったことをまだ悔やんでいます。


それから、時間がある時は寺社を訪れ、仏像を見上げる高さに置くことで崇拝の対象として捉える狙いがある。鐘や神楽など、音や舞など五感からも知ってもらう。など現地で肌感覚で触れてみたり、もっと知りたいと本読むようになりました。そこから発展して日本人だからこその生活習慣や行事などももうまく説明出来るようになりたいと自分の課題や目標が生まれてますます英語、英会話にのめりこみました。

数年後、夫の取引先のイギリス人がこちらに来られた時、一緒に一日観光にお付き合いする機会があり、自分ながらに身につけた知識が役に立ち、喜んでもらえたことが自分の喜びになりもっと勉強したい!となりました。


ということで、今回は、

【投げかけられた疑問や悔しい思いはいつか自分を成長させてくれる】

と感じた話でした。


最後までご覧いただきありがとうございました。

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では、また次回お会いしましょう。

さまさんでした。


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