憧れ👀
昔々、(私がまだ10歳代だった頃)、
探検や冒険に憧れていた。
遥か彼方の異郷の世界。
北は浅間山、南に八ヶ岳、山に囲まれた、東信州佐久盆地に生まれ育った私は、その山の向こうを全く知らなかった。そうでなくても、自閉的だった。
小中の頃の思い出はあまりないが、高校生の頃は山に登っていた。
読む本は、探検や冒険ものが多かった。
エベレスト初登頂記や、人類8000メートル峰初登頂記や、アルプス三大北壁登攀や、
スウエンヘディンのチベット探検や、
川喜田二郎の『鳥葬の国』や植村直己の本、等々、
ずっと若かった頃、探険記冒険記旅行記などノンフィクションものを読み漁った。
モーリス・エルゾークの「アンナプルナ登頂記」・ヘルマン・ブール「八千メートルの上と下」・スウェン・ヘディン「中央アジア探険記」・ヘイエルダール「コンティキ号航海記」・植村直巳「青春を山に賭けて」・ ジャック・イブ・クストー「沈黙の世界」などなど。
単に憧れてただけ。自分にとっての現実ではない、そんな雰囲気に触れていただけ。
こういうノンフィクションもので、要となるのはイメージだったろう。
行ったこともない未体験の行為をどこまで身近に引き寄せて読めるか。
けれども、私は現実感覚に欠けていて、 自分が行動を興していくわけではなかった。
実際、その後歳をとっていくにつれ、そういった記録ものはほとんど読まなくなり、読んだにしても、イメージできない文章だととたんに興味が失せた。
もちろん、私が歳をとったせいだろう。 私にとっての憧れは姿を変え、あるいはあの頃の感性は失われたともいえる。
その延長で、ドキュメンタリー映像にも憧れて、(日本テレビの「すばらしい世界旅行」という番組が好きだった)、そういう映像記録の仕事に憧れ、映画の世界に向かったのだけれど。
すべからく、それは、ただ憧れているだけのことに過ぎなかった。
今思うと、自分でも不思議なのだけれど。
探検家でも冒険家でも山岳写真家でもドキュメンタリー映像作家でもなんでもいいが、あのまま、真っ直ぐに行動していくことをしなかったのだ。
なんでかなア~~?(´_`。)
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