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海外旅行✈️👜

むかぁし、東京は遠かった。

新幹線などなかったといった物理的距離感だけではなくて、感覚的心理的に遠い、異世界だった。

そういう意味で、外国があった。

探検や冒険ものの本を読んでいたけれど、ただ憧れていただけで、そういうことを自分が実際にしていこうという、現実的な行動に繋がるものではなかった。

あの頃の、自分の心理をどう書いたらいいだろう…・・

新宿とか渋谷とか、駅周辺しか知らなくて、点と点が繋がっている認識はなくて、知った人もいない、見知らぬ、異世界。疎外感、違和感、?、とにかく外界に現実感がなかった。

東京でアパート一人暮らしして、トラック運転手仕事で、その点と点が繋がって、東京の地理を知っていく、その感じは好きだった。

疎外感は相変わらずだったけれど。

好きなことだけしていたいのに、生活するのにお金が必要だからしょうがなく働いていて、それがまた嫌で、自閉した。

いや、現実から目を背けて自閉したのは、実母がなくなった六歳の頃だ。

現実から逃げたくて、山に登った。それから、映画館になって、海外旅行になった。

初めての海外旅行は、インド経由ネパールで、バンコク乗り換え。三日間待機だったから、バンコク市内で泊まった。

飛行機からおりて空港の外に出た時の感覚が、もう曖昧になってしまっているのだけれど、初めて乗った飛行機での離陸時の感覚はなんとなく覚えている。

たいして感動しなかった。

カルカッタ(当時の)に出て、タクシーで市内に行く時に見た光景は衝撃的で、えらい所に来てしまったと思った。

それから、パトナへ移動して、パトナからカトマンドゥへ飛行機で行った。後から思えば陸路で行けば良かったなと思ったけど。

カトマンドゥ→ポカラ→ジョモソンルートでムクチナートまでのトレッキング。

その次が、パリからスペイン西部のオレンセ&ベンポスタ。

スペイン西部で30歳の誕生日を迎えた。

それから、1991年に初渡米、ロスからグレハンバスでカナダのウィニペグへ行った。セイクレッドランに途中からの参加、私は35歳。

翌年1992年も渡米、年末年始をモントリオールで過ごして、1993年になって帰国。

それから2000年まで海外旅行なし。

そうだ、2000年のオーストラリア行き(オーストラリアでの二度めのセイクレッドランの最後の方タスマニア島一周に参加)。

当時、佐久地域で宅配していた私は、替わりの人を何とか見つけて休みをとって行ったのだった。だから10日間くらい、だったと思う。帰国した翌日には仕事していた。

それまでの海外旅行は、全くのフリーになってのもので、帰国した時はお金もなくなっていた。それでも実家があって両親がいたから何とかなった。

振り返ってみると、2000年以降海外旅行へ行ける頻度が高くなってきている、ようだ。?

それでも、海外旅行はディスカウントチケットでいつも一人でだったし、そういう海外旅行にはいつも非日常性があった。

けれども、2019年と今回のネパール。

日本での友人知人達とのネパール滞在ありだったし、日本山妙法寺関連ということもあり、なんか、海外旅行というよりも、(飛行機に乗って)場所の移動といった感じがする。

特に今回はその感じが大きい。

因みに、日本の国内で飛行機移動したことはない。

飛行機(飛行場とか)とか外国は、私にとって異世界だった。非日常的だった。

それがそうではなくなってきている、感じがして、なんだか寂しいような、つまらない様な気がしている。

写真は以前のもの。
そういえば、今回は、飛行場とか飛行機とか機内からのとか、ぜぇんぜん撮らなかった・・・




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