体験(感覚)。記憶

体験したことが、すべからく、その人の心身に影響を及ぼす、とは限らない、と思う。

同じ時空間にいて、同じ体験を共有した者どうしであってもお互いの感覚記憶が同じにはならない様に、その人自身がどの様な状況でどの様なものを見て感じたかで、その人の記憶が形成される。

そもそも、感覚(体験)した記憶は、その人のいい様に改変される、と思う。
その人の都合のいい様に。
過酷で否定したいと思った体験は、なかったことにしようとしたり、自分の都合のいい様に変えようとする。あるいは、自分にとって覚えていたいと思うところだけをとっておいて後は忘れてしまう。
少なくとも、私はそうだ。
人は、自分にとって心地良いものを求めるのだ。それをとっておく。それ以外は不要として捨てる(or消去)。そういう取捨選択をしている。
だから、同じ体験をした者どうしで過去を話した場合、自分にとって嫌なことが出てくると不快になるのだ。

記憶
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E6%86%B6

ここでの「記憶の過程」。
感覚、認識があって、それが記憶され残る。
しかるに、それから更に、時間経過によって記憶はふるいにかけらていく。長期的記憶は、すべからく自分にとって(都合いい)記憶になっていく、と思う。

さて。
映画。
映像受像体験は、どうだろう?

ただ見ただけではダメだと思う。

あるいは、物語。
私たちは、何故、物語を必要としてしまうのだろうか?(まったく必要としない人もいるかもしれないけれど)


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