敗者という名の勝ち組

私は2023年1月をもって前職を退職した。現在に至るまで約7ヵ月が経とうとしている。ずっと暇をしていた訳ではなく、2月から7月まで職業訓練を受講していた。科目はwebマーケティングだ。訓練校中に次の就職先を決めたいなという軽い目標はいつの日の目標でしたか?の様にあっという間に卒業し、現在も引き続き無職で仕事を探している。
7月の上旬に卒業し、それから1か月の間、一応それなりに求人を見たり、カジュアル面談を受けたり、企業への書類選考の一つとして自身のポートフォリオサイトを作成したりと、自分なりにゆっくりながらやっていた。

その間の気持ちを下記にて表すと
「35歳で無職の未婚の女子なんてやばいな」
「面接が苦手だ、企業分析って対して興味のない企業の面白くもない」
「職務経歴書に記載する自己PR、企業ごとに記載をかえるのもだるい、そもそもPR出来ることなんてないしな」
「どうしてこんなにも転職活動がへたくそなんだろう、多分効率が悪いんだろう」
「みんなエージェント登録して何社も受けて、面接受けて。。自分は何をやっているんだ」
「今日は頑張ろう」
といった感じだ。

そんな中であるユーチューブを見た。
敢えてどのチャンネルかは伏せておくが、そこで印象に残ったのは
「社会の為に働くことが正義」「働いている人は偉い」「何かをアウトプットしなければ」
これらが大事だという価値観から逃れるという事だ。
というよりもこれは資本主義での構造上都合の良い価値観でしかない。という事だ。

私はこの1か月、(厳密にいえば働き始めてからの10年ちょっと)
それが当たり前と思い込み、仕事を探していた。
もちろん、働きたくないな~、一生働かなくてもいいお金があればなぁと
いう考えはあったが、元気なのに働いていない人=廃人 というイメージを自分自身が持っていた。

ただ、働くか働かないかは別として、働いていない自分も廃人ではない、十分価値がある。とこの動画を見てから純粋に思えるようになった。だって、十分人生楽しいもの。好きな時に起きて、一日調べたいことを調べ、平日でも両親とランチをして、昼寝をする。この日々が人生において働く事より価値がないと思うか?そうではないはずだ。

働いていても休日はその様な事が出来るだろう。でも実際は働いていた日々を思い出すと、1週間働き、土曜日は最高に楽しい気分だが、日曜日にもなれば次の日から仕1週間仕事が始まる事が嫌で、家族、友達、恋人といても解放感に満ち溢れて楽しんでいる自分はいない。その瞬間に集中できていない自分がいた。
(あくまで自分の話ですが)

働いていない自分も認める事が出来る、好きでいられる、むしろ勝ち組という気分でいられる。完全にそうではないが、この感覚を手に入れられた自分は今、最高な気持ちだ。 

日本の資本主義社会の価値観を自分の価値観にしてしまうのは危険だ。
日々の幸せ、不幸の尺度をこの一般的な社会の価値観で図ってしまう事、
これほど苦しい事はないのだ。

もちろん今のところ遊んで暮らせる財力はないし、多分そのうち仕事を見つけるだろう。
でもこれからは自分の価値観をひそかに心に秘め、働きたい。
その価値観が自分の中で世界で一番最高な価値観と思えるように強くなりたい。





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