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(16)〝デジ力〟の前に〝読書の筋力〟―「よく読む子」に育つ5歳頃からの本好き大作戦 ~本との縁結び編~

 つづきです。

 そしてまたもうひとつ、読書習慣のない人にとってますます「本が縁遠く」なってしまう理由があると思います。
 

〈「つまらなかったら時間の無駄」という発想〉

  「失敗したら(おもしろくなかったら)時間の無駄になる」という考えです。
 これは「非日常の行為だからこそ、成果を得なければやった甲斐がない」という心理ではないでしょうか。
 
 順を追って説明しますね。

 身内の話になってしまうのですが、私の夫は特に本好きではありません。 
 それはそれで個人の自由なのですが、娘達が読むようになったのをきっかけに、夫が「俺にも本を読む習慣があったらな…」と言いだしたので、「何か気軽に読んでみたら? 一緒に本屋へ行ってみる?」と言うと、
「…絶対におもしろい保証があるなら読んでもいい!」と真剣な表情。
 
 ―困りました。
 
 いくら頑張って選書しても結局「おもしろかどうか」は主観。
 多忙な人に勧める自信はないので、この話は終わりとなりました。
 
 ちょっと残念でした…が、夫の気持ちはわからないではないのです。

 例えばインドア派の私がもし一念発起して登山に挑むとしたら、きっと素晴らしい体験を望むでしょう
 
 途中で足りない装備に気づいたり、雨に降られたりしたらガッカリ。「また次ね!」と気軽には思えません。
 
 また、たまに料理をする人は材料費を惜しまず、ちょっと珍しいものを作ろうとしませんか? 
 これは食べる人の「すごい! おいしい!」という好反応を確実に得たいからですよね。
 毎日作る人は日常の料理に気合いを入れませんし、「今日の味付けはイマイチだったな」と思っても、明日挽回すればいいと考えます。
 
 読書もまさにこれ
 数百ページの小説を読むことがその人にとって非日常であり、お金(本代)も体力も時間も使うことならば「絶対におもしろい」必要があるのだと思います(比較的時間のある人はまだ挽回の余地がありますが・・・)。

 日常的に本を読む人は、「期待はずれだったな」と多少ガッカリしても、「また次」と切り替えができる・・・この差ではないかと思います。
 
 「本をあまり読まない人」のすべてが夫のような思考・理由ではないでしょうが、ひとつの傾向としてはわかった出来事でした。
 
 だから、子ども時代に「本と縁を結ぶ」「読書を気軽なものにする」ことが、その後の人生に影響を与えるのと思うのです。
 
 

〈デジタルネイティブ世代だからこそ、言葉への感受性を身に付けて〉


 ーとはいえ、それでも大人なら、読もうと思えば読めます。
 大人になれば、「こういうテーマの話は好き」と自分でわかるでしょうし、また「ためになりそう」という向上心から本を手に取ることもあるでしょう。
 
 もう大人…だからこそ、「本がちょっと苦手」でもいいと思います。
 それこそ人それぞれですし、大人は「インターネットの動画とは」「読書とは」「SNSとは」…というそれぞれの特徴、自分にとってのメリット、デメリットもわかっていますから、いざとなれば自分の意思で手にしたり、使い分けることもできますよね。
 
 問題は、子どもです。
 現代の子どもは、デジタルネイティブです。デジタルは生活基盤ですし、親が特別な努力をしなくてもデジタルを自然と身に付けていくでしょう(プログラミング教室等でより高度な知識・技術を習得する…という場合は別にして)。
 
 でも、だからこそ願います。
 デジタルを習得する前に、言葉・文章に対する感受性を身に付けてほしい…と。
 素晴らしい文章や、おもしろい物語をたくさん読んで、ぼんやりとした自分の気持ちを言葉で整理・表現できることや、文章で相手と適切なやりとりができること…を知ってもらえたら。
 読書にはその力、その喜びを、子どもの心に育む力があると思います。

 ーこれはとてもアナログな意見でしょうか?
 それでもいいです。
 人の心って、アナログだと思います。
 感情があって、理屈に合わなくて、時々ぼんやりしていて、自分でも訳が分からないもの。
 肉体を有し、日々細胞が変化していく以上、理屈に合わない肉体と感情を包括しているのが人間。
 だから、アナログな自分の心をしっかり見つめる期間は、人格形成の段階で、とてもとても大切だと信じます。

 そしてまた、知識や技術は、「どう生きたいか」「私はどんな人間か」を、ある程度でも、ほんのりとでも心にある人間が、「生きるために活かすもの」だと思うからです。
 それが未熟な段階で、知識や技術をことさらに身に付けることは、私は怖いと感じます。
 
 そして、「子どもに本好きになってほしい」と願うパパ、ママ達にも伝えたいです。
 ゲームや動画よりも前の段階で、まずは読書に親しんでもらう方法は…どうでしょう? と。
 ゲームや動画が悪いわけではありませんよ!
 ただただ…順序が逆になると、ハードルが高まります。
   

〈親が「縁遠い」ものは子どもも縁遠くなる〉

 
 私は、「こうしたら子どもは本好きになると思います」という方法を段階的に提案してきましたが、それは要約すると「子どもと本の縁を結んだらどうでしょう?」ということだと考えています。
 
 今の時代、子どもは産まれた時からデジタルと強い縁で結ばれています(縁というのも変ですけどね…)。
 
 でも、読書との縁はどうでしょう?
  
 なぜ「縁」という言葉を持ち出したのかというと、子ども時代に「縁遠かった」ものは、大人になっても「縁遠い」可能性が高い…からです。
 
 では子ども時代の「縁」とは何かと考えると、それは大方「周囲の大人が用意した環境」ではないでしょうか?
 
 親がアウトドア好きなら子どももそうなりますし、音楽一家なら音楽に親しみを持ちながら成長するでしょう。そしてその逆もありますよね。
 
 私は子どもの頃、キャンプや登山に連れて行ってもらった経験がほぼないので、今でもアウトドアが苦手です。
 嫌いではないのですが、縁遠いのです。縁遠いまま大人になったので、私にとってそれは今でも気軽な娯楽ではありません…。
 
 けれども今の時代、「親がそれに対して縁遠くても、苦手でも、習い事やスクールで子どもに体験させる」という選択肢がありますよね。
 スポーツ、音楽、英語、プログラミング…などなど、あらゆる指導・体験をプロにゆだねることができます。アウトドアやキャンプだって、夏休みの体験プログラムなどで子どもに体験してもらうことができます。
 そういう意味では、良い時代になりました!
 
 そしてこれらは幼児期を逃し、例えば「中高生になって初めて」体験するとしても、頑張ればある程度は「身に付く」ものだと思いませんか?
 
 そう、それなんです。
 
 読書に関しては、「塾」ってなかなか難しいと思います。

〈読書スクールなどに取り組む場合はこんな風に考えたら…〉


 勉強不足で、実は最近まであまり知らなかったのですが、
 読書を通じて国語力を上げる…というコンセプトの塾があったり、
 また、通信講座のようなカタチで子ども一人ひとりに合った選書をしてもらえる…というサービスもあるようですね!

 これらそのものは、楽しくできればとても良い手段だと思います。

 「読書を通して成績を上げる」「読書ってどんなものかを知る」目的に対して効果があるでしょうし、金銭的な問題をクリアして親子共に楽しく続けられれば素晴らしいですよね。
 大人になっても愛読できるような、大好きになれる本との出会いもあったら素敵です。

  ただ、「読書が好きになる心育て」に関しては、必ずしも「これを習っているから大丈夫!」というわけではなく、家庭での過ごし方がやはり大きなカギになるのではないでしょうか。

 例えば、万が一教材となっている本、選んでもらった本が自分に合わなければ、子ども自身が「本ってあまり面白くない…」と安直に感じてしまう可能性もあります。年齢が低いほど、こうなりがちです。
 「いついつまでに読まなければ」という制限がプレッシャーになることもあるでしょう。
 もちろん、「面白がり方」の指導をするのがプロですから、そこはカリキュラムに取り組めば大半の子どもが効果を実感できるかもしれません。

 ただ、どんなに完成されたカリキュラムでも、型がある以上、合わない子も出てくると思います。

 もし、継続することが難しくなった時、家庭でいちばんやってはいけない…やらないでいただきたいことがあります。

 それは、

 「読書のスクール、やってみたけど合わなかったね」とか
「やっぱり本は無理だね~」
 …という定義づけをしてしまうことです

 
 自分に読書は向かないんだ…子どもがそう思ってしまったら、もうそこで「本との縁」は切れてしまいます

 でも、そんなことはないです!
 これはいちばん残念で、避けたい定義づけ。

 読書の塾やスクール…でちょっと心配なのは、親のメンタル面から考えると、お金をかけた以上、成果が欲しいと思ってしまったり、「この本早く読んじゃおう」と急かしてしまったり、「もう少し難しい本が読めるようになると思ったんだけど…」と期待してしまったり、そういう感覚が生じると、親子ともに読書が楽しくなくなってしまう可能性があります。

 カリキュラムというものは、知識や技術、能力を身に付けるために組まれていると私は思います。「面白がる」仕掛けは施されていても、「面白い」かどうかは本人の心次第です。
 これが他の習い事と違うところで、知識や技術が身に付けば「成果があった」と断言できるものではないーそれが読書です。

 なので、そういった塾やスクールを受講しても、しなくても、子どもが本好きになる上でまず大切なことは、「家にたくさん本がある」「手を伸ばせば好きな本がそこにある」という、日常の環境

 「テキストとしての本」以外にも「自分で選んだ本」や「もともと好きな本」が家にあり、時間の制限や「感想を言う」などのタスクがない状態で、日常的に「本とラフに遊べる」という環境がベースにあれば、逆に読書の塾やスクールも楽しみやすいかもしれません。

   
 

〈子どもと本の「縁」を結ぶことは簡単にできる〉

 通信講座やスクールは個人的には興味深いものですが、そういう手段を選べないご家庭もたくさんあると思います。

  ですが、「読書に縁遠い親」でも、「子どもと本の縁」を結んであげることは比較的簡単にできると私は思っています。
 
 やっぱりそれが、図書館や書店に連れていってあげたり、家に本棚・たくさんの本を用意してあげること
 
 我が家の長女は私が意識的に行った「5歳頃からの本好き大作戦」で本との縁を結びましたが、次女は物心ついた時から「家の本棚に選べるだけの本がたくさん」あり、姉がいつも本を読んでいる姿を見て、自然と本好きになりました。本との縁が自然と結ばれる環境だったのです。
 
 次女に関しては、その環境にあったことと、ゲームや動画が幼児期にあまり目に入らなかった…ということが大きいと思います。
 
 子ども心に、なんか暇だな・・と思った時、すぐ目につくところに自由に選べるだけの本があるという環境。本棚に、けっこうな量の本。
 家の中の特別な場所ではなく、いつもいる場所に本。
 これだけのことでも、子どもと本の縁は結ばれます。
 
  大前提として、読書は特別なものではなく、家でご飯を食べたりテレビを見たり音楽を聴いたりするのと同等な、「当たり前の日常」として触れながら成長するのがいちばん「すんなり体得」できる方法ではないか…と思います。
 そのうえで選書サービスなどを利用するのは、親がまかなえない発想や知識、選択肢を得ることにつながるのではないでしょうか。
  
 
 つづきます。

 
 
 
 
 
 
 
 
 

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