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忘れるギフト

頭のワーキングメモリの容量は、日々変動する。
いろんなことを一気に並べられるときもあるし、2つタスクを並べただけでキャパいっぱいのときもある。

容量が小さいときは数分前に考えていたことですらすぐに忘れて、一人ぶつくさ言いながら苦笑してしまう。たとえば、キッチン流しで空の牛乳パックを洗ってハサミを入れているうちに洗濯機を回さねばと思い出し、洗濯機に向かう途中で乾かしていたペットボトルゴミが目に入りペットボトルゴミを潰してゴミ箱に入れている間に友達にLINEの返信をしていないことを思い出し、返信している間に、洗って切り開いた牛乳パックを干すのをすっかり忘れている。

忘れる、のせいで、大なり小なり困ったり、余計な時間をかけてしまう。

忘れる「のせい」。

でも、忘れる「おかげ」もある。

喉元過ぎれば熱さを忘れる。
時間薬。
忘れる、は人を癒す。

私も、「忘れる」でだいぶ楽になった事柄がある。

母親との人間関係だ。
30歳を過ぎるぐらいまで、ずっとこじれてきた。楽になってきたのは最近のこと。

このまま、忘れる、の恩恵を受けて、完全に忘れてもいいのだけれど。

私自身が母になった今年、これまでの、一言で表すのはとても難しい過去のいろいろと、ちゃんと時間をかけて向き合ってみようかな、と思いついた。
文章に昇華して、note創作大賞のエッセイ部門にチャレンジしてみようかしら。

そんなことをした先に、何かメリットが待ってくれているのかはわからない。
でも、完全に忘れる、のはその後でもいいと思うのだ。

忘れることのギフトは、まだもらわない。

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