見出し画像

【自己紹介】はじめまして、飯野英と申します。

こんにちは。飯野英です!
このnoteでは、シェアしたい僕自身の考え方や台湾現地採用の身としての台湾生活・時々筋トレやボディメイク関連を発信していこうと思います!

まずは簡単に、少々自慢がてらの自己紹介。
(↑と記載しましたが、書き終わってみれば7500文字の超大作。。笑)
※ですます調・である調が混じっています、ご了承ください!

幼少期👶

兵庫で生まれ、名古屋で育ちました。
特に覚えはありませんが、活発な少年でした。

跳躍力半端ない💨
ポージング好き男👦
90年代に連写機能があったなんて…📸

小学生時代🌸

サッカーの思い出で埋め尽くされています!
シルフィードFCに入団。DF・MF・FW全部のポジション経験。
小学校6年生の時に名古屋市でNo.1クラブを決める大会でハットトリックして優勝。(この瞬間が1番輝いてたと思わないように、日々奮闘中。笑)
学校生活では6年生の時に今は無き30人31脚に出場。
愛知県大会で予選4位からの2本目で大コケして8位フィニッシュ。
肩から床に着地した時の傷が今でも残ってます。思い出のタトゥーということで。

マットめがけて全力で駆け抜けます👟
改めて30人で足繋いで50mを10秒で走りきるとかすごすぎ。
名古屋市大会優勝。いい笑顔😀(前列左から3番目のNo.7)

中学生時代👦

1番思い出が薄い期間…。いわゆる優等生的な感じで真面目に勉強。サッカーではパッとせず悶々としていた気がします。
3年生の時に名東高校に志望校を定め、無事合格。

中学卒業。早く卒業したかった感が表情に出てる😂

高校生時代🧑

前年にインターハイで全国大会に出場した公立高校である名古屋市立名東高校に入学。
同学年の男子200人中、50人がサッカー部員という環境で仲間と切磋琢磨しながら全国大会を目指した3年間でした。

改めて部員多かったなと。

・ヒザのケガ(前十字靭帯損傷・断裂)🤕

高校時代は決して順風満帆ではなく、3年間のうち1年半はケガと戦いました。これまで大きなケガをしたことがなかった自分にとってはとても苦しく、でも充実した期間でした。手術で入院した時には仲間が毎日のように病院に来てくれました。

全て思い出に残したいんです!と懇願し撮っていただいた📷

・応援団長📣

ケガということもあり、なんとしてもチームに貢献したいという思いから、応援団長に立候補。
(応援団長=チームや個人の応援歌を考える・公式戦でチームの応援歌を一発目に歌い出す・当日の人員配置を決めるetc.)
3年生時にはインターハイで全国大会に出場。全国に向けて準備は万全でしたが、まさかの当日近隣施設からのクレームで応援歌を歌えず、不完全燃焼で全国の舞台をあとにすることに…。
全体を動かす楽しさや人・チームを支えることの喜びを感じました。

左:貴重なユニフォーム姿。
右:雨の中の選手権愛知県決勝ハーフタイムで
「応援の力で後半は勝たせます!」と言っている天パ強めの私。
この人数の応援団長を務めたことが誇り📣

大学生時代🎓

大阪の近畿大学に入学。休むことなく遊び続けて、フットサルサークルと海外旅行を中心に充実した4年間を過ごしました。

・フットサルサークル⚽️

CUERVOという、見るからにヤバそうなフットサルサークルに…。笑
高校生上がりの自分にとって、酒・タバコ・バイクは未知の世界で、カッコよく見えたんですよね。結局タバコ・バイクは手を付けることなく今にいたりますが。強烈に憧れる先輩ができて、その人に付いていこう!と決めてサークルに入りました。
でもその先輩は、ある日突然姿を消しました。(いわゆる蒸発というやつです)しかもサークルに多大な借金を残して…。。
解散危機に迫られましたが、なんとかして立て直したいという思いで、1回生ながら代表を務め悪戦苦闘しました。
今思えば、サークルは部活や会社のような強制的なものがあまり無いのであらゆる面であんばいが難しいですが、とにかく必死にやり抜いて後輩に受け継いでいきました。(無事に借金も全額返済!)
今もサークルは残っているようで、残した甲斐があったかなと思います。

サークル仲間や後輩との一番の楽しみは、もちろん飲みでした。でも普通の飲みではなくて、サークルや人生について熱く語り合う飲み。笑
あの時ドヤ顔で人生を知った気でいた自分が恥ずかしいようですが、でもそのくらい自分のやっていることや自分自身に誇りや自信があった。
一生語り合える仲間ができたことが何よりの財産。

夏合宿@沖縄

・近大フットサル連盟・近大リーグ⚽️

当時、近畿大学には15つのフットサルサークルがあり、年に3回No.1を決めるのが「近大リーグ」という大会。大会は各サークルの代表とスポンサー企業様が集まっておこなう「近大フットサル連盟」が運営。
予算は各サークルからの参加費と、スポンサー企業様からの出資金を元に運営。
使用する施設との交渉やスポンサー企業様とのお付き合い等、少しながら社会人に近づけたようでした。
サークルの代表が集まるだけあり、向上心のある仲間ばかりでとても刺激を受けました。中には大学卒業後、起業をした友人もおり、今でも会うたびに刺激をもらっています。

近大フットサルが一体となった大会。

海外旅行🛩

海外旅行記📝

アメリカ🇺🇸

初めての海外旅行?中学3年生の時のサッカーオランダ遠征以来の海外。
まずはニューヨーク。そして当時両親が駐在でシカゴにいたため、シカゴにも行きました。

初のニューヨークで完全に浮き足立つ🗽
当時の実家 in Chicago

ベトナム🇻🇳

高校の友人とともに初のバックパッカー旅。
ハプニングもありながら無事2週間が終了。

見るからにバックパッカー

メキシコ🇲🇽

親の仕事がメキシコに移ったため、メキシコへ。
ケレタロ→メキシコシティ→カンクンを巡った。

世界遺産テオティワカンにて👒

ヨーロッパ周遊🇪🇺(イタリア・クロアチア・ドイツ)

ベトナムへ一緒に行った友人とこれまたバックパック。
ちょうどミラノ万博が開催されていた期間で良い感じに賑わっていた。(行ってから現地の空港で知ったw)
他にも自然を巡って、ドイツ代表の試合を観戦して、とにかく歩き回った。

  • イタリア🇮🇹(ミラノ・ベネツィア)

ヴェネツィアの街並み美しすぎたー。
  • クロアチア🇭🇷(ザグレブ・プリトヴィツェ)

世界で最も美しい滝といわれる「プリトヴィツェ湖」
  • ドイツ🇩🇪(ミュンヘン・フランクフルト)

 ドイツといえばなんといってもビール🍻

メキシコ🇲🇽(2度目)

就活直前、思い立って2度目のメキシコへ。駐在している父の会社で現地採用で働かれている女性Iさんと話す機会があった。
なぜメキシコに来たんですか?と聞くと、Iさんは
「好きなアーティストに会うため!」と活き活きした表情で語った。
急に思い立って、そんなに準備もせずに飛び出してきたが、2年くらいでほぼほぼ完璧なスペイン語を話せていた。狭い世界で生きてきた自分にとっては衝撃的だった。
でも最初に入る会社がどこであれ、なんとでもなる!と、心が軽くなった日でもあった。
漠然とした「いつかは海外で働きたいな〜」が少し現実的になった機会だった。

しっかり観光も欠かさない🏇

ヨーロッパ?周遊(スペイン・ポルトガル・モロッコ)

  • スペイン🇪🇸

幼少期からのレアル・マドリードのファンということもあり、1番行きたい国でもあったスペイン。ホームスタジアムのサンチャゴ・ベルナベウにて国王杯観戦。
そして世界一のビッグマッチレアル・マドリードvsバルセロナ「エル・クラシコ」をバルセロナのホームスタジアム「カンプノウ」で観戦。
マドリーがセルヒオ・ラモスのヘッドで同点に追いついた時、喜ぶに喜べなくて不完全燃焼だったので、死ぬまでにもう一回は行きたい。笑
今回はバックパックで一人旅だったので、予定を詰めすぎず気が向くままに行動。

1人で飲んでたら声かけてもらってマドリード郊外の地元民が集まる
クラブに連れて行ってもらった。帰りに置いてた車が分からなくなって
結局2時間くらい歩いて帰ることに…🥱
サンチャゴベルナベウ。夢叶った。
  • ポルトガル🇵🇹

英雄クリスティアーノ・ロナウドの国。1番街並みが綺麗だった。
ポルトでCLも観戦。CLのアンセムを生で聞いた時は震えた。

ぶらぶら歩き回った思い出🚶‍♂️
  • モロッコ🇲🇦

行く予定は無かったけど、セビリアのドミトリーで出会った韓国人に誘われて、一緒に行くことに。
初めてのアフリカ大陸に上陸した高揚感は半端なかった。。
シャウエンという「青い街」を観光。本当に街全体が青く塗られていて、不思議な感覚だった。ドミトリーのオーナーのちょいワル系オヤジに、「気持ちが高揚するヤツ」→タバコ?クスリ?を勧められたけど韓国人がやんわりと断ってくれたのが印象的。ハマってたら今頃シャウエンでオーナーの奴隷になってたかもしれない。笑
元々フランスの支配下にあったので英語がほぼ通じなかったことも含めて、危なっかしい経験が出来て良い思い出になった。

現地の案内人に捕まってしまった…と思ったら、
ただただ優しいおじさまだった。

改めて自分は旅が好きだと実感!!!


社会人👔

仕事関連の話はとても長くなるので、また別で話そうと思います。時系列で簡単にまとめます!(できるか?)

1年目(2017年〜2018年)

新卒同期が700人。名前を言われても、わからない人の方が多い環境でした。
配属されたのはアルバイト情報事業部。
ミッションとしては、アルバイト求職者により良い情報をより多く届け、企業様の採用を成功させ事業を前に進めていただくこと。
自分は営業なので、「マイナビバイト」を企業様に使っていただくことが仕事になる。
具体的に業務内容に落とし込むと、
・1日100件ほどのテレアポ→アポ獲得
・1日3〜5件のアポイント、アポイント準備
・求人原稿の作成、修正
・受発注業務
・各種社内ツールへの報告 etc.
特に入社時は自分の顧客はゼロからのスタートなので、
上記業務のサイクルをいかに効率よく回して申込み、継続に繋げるかがカギになる。
1年目は思うような結果を残すことができず、達成したりしなかったり。
ランキングでは常に下位をさまよっていました。

同期の競争って大事。

2年目(2018年〜2019年)

勝負の2年目が始まる!はずだった。
しかし趣味のフットサルで古傷の右ヒザ靭帯を切ってしまい、入院することに…。
脚で稼ぐ営業(ザ・オールド営業。笑)をしていた自分にとっては大変な痛手。
もちろんこの期間はほとんど売上を上げることができず、改めて社会の厳しさを知り、今の自分の力では到底成績を上げることはできないと実感。
復帰後は、すがる思いで「コミュニケーション」「リーダーシップ」を実践的に学べるスクールに入った。
仕事が終わり次第、スクールでまたギアを入れて対話をしまくる日々を過ごした。身体はしんどかったけど、やるしかなかったので辛くはなかった。

驚いたのは、社会人になってお金を払ってでも「自分を変えよう」と頑張っている人がたくさんいること。そういった世界を身をもって知れたのが一番の価値だったかもしれない。

しかし同時に、いわゆるコミュニティならではの「危うさ」も知った。
ほとんどが自らの仕事に生かすために入学したはずなのに、気づいたらそのコミュニティのために活動していたり、居心地の良さを感じてしまう。
段々と囲い込まれていくのが伝わり居心地の悪さを感じてしまうようになり、辞めることに。

お世話になった上司と最初から配属一緒の同期👩

3年目(2019〜2020)

2年目の後半からになるが、
・スクールの成果
・上司の指導
・担当企業の発注数増加(運がよかった)
この3つがうまく組み合わさり、2年目後半(下半期)では東京で300人ほどの営業の中で2位の成績を収めることができ表彰をいただくことができた。
時間とお金を投資して仕事に没頭したことが結果になり嬉しかった。
そして成績が振るわない自分に対して、熱心に指導してくれた上司には感謝しかない。

3年目も序盤はうまく滑り出したが、年間通しての表彰には1つも取ることができず、自分の限界を自ら作ってしまった。「自分は無力だ」「自分には社会的価値なんて無い」という具合に。先々が見えず、燃え尽き症候群気味になっていた。
3年目の後半は日々に楽しさを見出せず、転職や起業がちらつき、色んなセミナーに行ったり、人生一発逆転的なものに飛び付こうともした。
確実に目の前の課題から逃げていた。
そんな3年目の終わりがけに、あのウイルスが蔓延。

月間MVPを取りW杯を掲げる営業マン🏆
(めっちゃ撮り直した🤫)
グループ全体のチーム賞金賞🏅
台湾旅行は忘れられない思い出!

4年目(2020〜2021)

4月7日から緊急事態宣言。
飲食やサービス業のアルバイト求人を出す企業なんてほぼゼロに近く、売上も大打撃。
幸い会社はピンチを乗り切り、自分たち社員を見捨てず給与もいただけた。

自分を見失っていた自分にとっては奮起するきっかけになった。
会社ではチームの士気が下がっている時に何ができるのか?と考えて行動し、少しはプラスの存在になれていたと思う。

また空いた時間を使って、自分の社会人としてのスキルを磨きなおす決意をし、まずは基本中の基本である「タイピング速度を上げる」ことを目標にし、「タッチタイピング(ブラインドタッチ)」ができるように練習しまくった。
ストーリーで発信していたこともあり、徐々に一緒にやりたい!と仲間が増えた。毎朝6時にLINEで電話を繋ぎ、それぞれが作業をするという単純なものだった。
ただし、寝坊をすると1000円を支払う制度にすることで強制力を持たせて、早起きに取り組んだ。
タッチタイピングの次はExcel、PowerPointを向上させて遅ればせながらMOSの資格を取得することも出来た。
一歩ずつ成長している感覚が数字として現れるのが何より楽しかった。

そして10月にマイナビの出資先である株式会社オープンクラウドに出向。
チャレンジをしたいことを上司にも伝えていたが、まさか突然出向することになるとは!
と思いつつ、ワクワクしかなかった。出向してからは5年目でまとめよう。

一律給付金で購入したMacbook ProとAirpods pro🍎
windowsとmacbook両方使えるのは何気に強み。
打ち合わせ(風)

5年目(2021〜2022)

2020年10月から、株式会社オープンクラウド(現在:株式会社ApplyNow)に出向。
「アルバイト業界の知見があり、何事にも積極果敢に挑んでいく姿勢で営業組織を作れる人」としてジョインした。
社長以外の営業・CSは2人。自分1人の動きが会社全体の成果に繋がる。そのプレッシャーを味わいつつ、自ら手をあげて新たな取り組みを仕掛けていく楽しさを知った。

ApplyNowはアルバイト採用の効率化を目的として、応募者の自撮り動画で合否を決める「録画型選考システムApplyNow」を自社開発しSaaS型で提供している。
応募者は自宅にいながら24時間365日いつでも動画を投稿することで合否が決まり、採用企業は面接調整や面接時間をカットすることで工数を削減し、時間のズレをなくすことで採用期間の短縮に繋がるサービス。

しかしサービスはなかなか市場にフィットせず、悪戦苦闘。
SaaSのPMF(プロダクト・マーケット・フィット)の難しさも痛感した。
ただ、本当に毎日仕事しかしていなかったと思えるくらい没頭して取り組んだ。
そんな中、市場ニーズを拾い上げつつ、新たな価値を提供する新サービスを開始することに。

展示会やWebセミナーも積極的に開催。
仕事(風)

6年目(2022〜)

正しくは2022年1月からになるが、新サービスの開始にあたって、
β版(いわゆるお試し版)の設計の大部分を任された。
営業として入ったが、ここまで業務が多岐に渡るとは思いもしなかったが、この頃にはもうそんなことは普通になっていた。
唯一の同僚である女性の営業(もはや職種とか無い)と期限とプレッシャーと戦い、泣きそうになりながらサービスを作ったのが懐かしい思い出。
新サービスとは、面接シェアリングサービス Interview Cloud。
このサービスがうまく市場にハマり、大手企業様中心に利用数が増加中。

Interview Cloudとは、面接シェアリングサービスのこと。
アルバイト応募者と企業の面接調整の負を解消するサービス。
応募者はWeb上で最短1時間後に、ApplyNow社が教育する全国各地のプロ面接官と面接を実施。その面接の様子がすぐに専用クラウドシステムにアップされ、合否を出せる仕組み。すぐに働きたい応募者とすぐに採用をしたい企業の間にwebシステムと人間を組み合わせることで、採用の負を解消するサービス。

少し落ち着いてきたタイミングで、新たなチャレンジを決意。
退職を伝え、12月までの勤務となった。
ApplyNowではスタートアップならではのスピード感をもち、社長と近い距離で働くことで、会社全体としての視点を持つことができた。
個人的には泥臭くやり切ることの大切さを身をもって体感でき、自ら手をあげていけば無限にチャンスは広がることを実感した。
またカスタマーサクセスをやったことで、営業とは別の脳みそを使い提案の幅が広がったように感じる。(あんまり詳しく書くと職務経歴書みたいになるので、ふわっとさせておきますw)
とにかく充実した、仕事に没頭した2年間でした。

6年目の仕事の写真あまりになさすぎる。笑
毎年恒例の弓ヶ浜合宿🏖
一大決心して顔が晴れやかになる男🙂

そして、これから(2023年1月〜)

ご縁があり、台湾のWebマーケティング企業に就職(現地採用扱い)することになりました!
ワーホリ等ではなく、就労ビザを取得して就職するので、ほぼほぼ移住に近い扱いになります。日本から住民票も抜きます。
自分のキャリアにとっては良い決断だったと言えるように頑張っていきます。
また仕事以外にも筋トレ・ボディメイク・語学取得を頑張ります。
台湾就職のきっかけや思いについては、別の記事にてお伝えします!



さいごに

書いてみると、意外と長くなってしまいました。
文章力の無さが露呈しているようで、恥ずかしい。。笑
こんな感じで過去の話、考え方の話、現地就職の話、筋トレ関連の話、台湾の生活を雑記ブログ的に発信していけたらいいなと思っています!
あまり期間やジャンルを縛りすぎると書くのが億劫になってしまいそうなので、月1本以上を目安に思いついた内容を書いていこうと思います。

少しでも「スキ」と思える部分があれば、❤️(スキ)マークやコメント待ってます!

またInstagramもストーリー中心に台湾生活を発信しています。
海外転職やキャリアの相談、雑談をしたい!という方もお気軽にDMください!👇

https://www.instagram.com/eichan_r07m/

今後ともよろしくお願いいたします!!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?