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『自分勝手』の定義

 こんにちは。災害級の猛暑って言葉、なんかパワーがありますよね。
 先週の異常気象のおかげで、週後半は脱水症状なのか熱中症なのか、微熱とも言えないくらいの微妙な熱が出たり、頭痛や食欲不振があったりと、しんどかったです。

 台風が打ち止めで、一時的に災害級の猛暑が終わる的なニュースを見たので、いつも通りの7月に戻ってくれることを願うばかり。


『自己中』は当たり前

 『自分勝手』のお話をする前に、『自己中』のお話をしようと思います。

 私は、『自己中』なのは人として以前に、生き物として当たり前のことだと思っています。
 最近よく、動物系の動画をYoutubeで見ているのですが。群れからはぐれたら置いていかれるのが当たり前、食べ物があったら口いっぱいに詰めるのが当たり前、自分より弱い相手はこき使われるのが当たり前と、それはもう厳しい世界なんだなぁと感じさせられます。

 当然、人は高い知能を持ち、高度な文明を築き、社会生活を送る生き物なので、弱くても救済措置がたくさんあり、どうにかして普通くらいの暮らしを送れるようになるためのサポートも充実しています。私自身も、そういったサポート(支援)に支えられて生きていて、自立した社会生活を営めるようになるための訓練中の人間です。

 でも、そういうのって、なんとなく生物的に逸脱しているように感じてしまいます。
 同じ人間だとしても、数千年前の狩猟をして生きていた時代ならば、私のような使えない人間は、ご飯を抜かれて村から追い出され、孤独死していたと思います。それくらい社会生活を送る力が欠如しているので。
 厳しいお話に感じられますが、多分生物的には、それが普通だと思うんですよね。だって、いるだけでお荷物になるんですから。
 そういう、利益よりも倫理観を優先してしまうところが、また面白くもあり、嫌いではありませんけれども。

 とまあ、そういうことを踏まえると、生き物として『自己中』というのは当然の選択だと、私は思います。


『自己中』と『自分勝手』

 じゃあ、自分の好きなように生きることのほうが、生物として正しいんだから、人もそうするべきだ!と言われたら、それは違うでしょとなるわけです。

 理由は色々ありますが、一番は、人それぞれには『感情』があり、個々人の感情を守るための『倫理』というものがあるから、というのが端的な答えかなと思っています。
 動物には、協調性はあれど、倫理観は無いか、人間ほどに発達していないのだと思います。
 ライオンのメスは、みんな揃って狩をします。イワシは、大きく見せるために固まって泳ぎます。しかし、カンガルーの親が、敵からより早く逃げるために子どもを捨てても、誰も何も言いません。責められることもありません。

 余談として、例外もあって、例えばコウモリは、仲間が死んだ姿を見ると、ショックを受けるらしいです。飼育下で友情を築いたコウモリが、野生に放たれたあとも仲良くし続けていたという研究結果もあります。
 しかしこれも、人間のような『感情』によって、悲しむとか大切にしようとか、行動に影響が出ているとは限らないので、実際のところはコウモリたちにしか分かりません。

 閑話休題。

 人間も動物である以上、自分の意思や利益を最優先するのは当然のことだと思います。自分のお金は自分で使いたいですよね、そういうことです。
 しかし、それが生き過ぎて、自分の嫌いな人はいなくなればいいから、いじめをしたり、殺してしまったりしたら、それはただの『自分勝手』になってしまいます。

 この『自分勝手』と、『自己中』の違いは何なのか。
 私は2つの違いがあると考えていて、1つは『自分の利益』を考えられているか、もう1つは『自分の感情』に他者を突き合わせていないか、です。


自分の利益

 嫌いだからいじめるという例をもとに考えてみましょう。

 嫌いな人をいじめると、まず自分個人の鬱憤が晴らされますよね。自分の立場だけからみると、良いことかもしれません。
 そして相手が、そのいじめに耐えかねて、学校や職場に来なくなったとしましょう。嫌いな相手に会わずに済むため、ラッキーです。得しかありません。

 さて、いじめられた人は、学校から居場所を奪われたり、退職を余儀なくされてしまったため、自分の持つ財産を不当に奪われたことになります。
 その気になれば、裁判を起こすことも可能でしょう。

 裁判になりました。弁護士を雇いましょう。
 事実確認に協力しましょう。証拠があれば、証拠を提示しましょう。
 とても手間とお金がかかりますね。

 多少の過失が認められてしまったら、賠償責任を負わなければなりません。
 これは自分にとって、得と言えるでしょうか?
 金銭的にも、時間的にも、社会的にも、さまざまな利益を失っていると思います。

 まあ実際は、裁判まで行くケースや、賠償責任を負わなければいけなくなるケースはそうそう無いと思いますが、ゼロとは言い切れません。最近のニュースを見ていて、今まで見過ごされていたものが、ちゃんと咎められる世間にシフトしてきている感じがします。
 少なくとも、誰かからお叱りを受けたり、自分の行動によって周りとの関係が壊れたり、自分の社会的地位を落としたりする可能性は、かなり高いと思います。

 そこまで込み込みで、では嫌いな人がいたらいじめるメリットはありますか?と問われれば、メリットに対してのデメリットが大きすぎるという結論に辿り着きますよね。
 ここまで深く考えなかったとしても、もっと単純に、「怒られるからやめよう」「信用を落とすからやめよう」になると思います。多分。


自分の感情に他人を付き合わせている

 先ほどは論理的なお話しでしたが、今度は倫理的なお話しです。
 同じく、嫌いだからいじめるという例でお話ししていきます。

 嫌いなのは、あくまで自分の気持ちです。

 当たり前のことを言いますが、自分の気持ちは、自分だけのものです。親だろうと恋人だろうと家族だろうと友人だろうと、気持ちが一緒くたになることはありません。どんな相手にも、相手の気持ちがあるし、誰にでも自分の気持ちがあります。
 自分だけの気持ちを押し売りすることも、誰かの気持ちを侵害することも、あってはいけないことだと思います。その逆も然りです。
 自分が嫌いだから、友人にも嫌いになってもらうことは、強制できません。自分が好きな人を、友人に好きになるなということもまた、強制できません。

 だから、自分の嫌いという気持ちに、嫌いな人本人をいじめることで付き合わせるのは、気持ちの押し売りにも侵害にもなります。
 友人を巻き込んで、嫌いな人をいじめさせることも、気持ちの押し売りになりますよね。本当はいじめたくないけれど、仲良くするために流されてしまうこともあるでしょう。(流される方も悪いのは当然として。)

一般化のし過ぎ

 少し話がそれますが、同調圧力という言葉がありますよね。
 私は、この言葉の本質を『行き過ぎた一般化』だと思っています。

 パンケーキが好きな人って、結構多いですよね。めちゃくちゃ好きとまでは行かずとも、そこそこ好き、どちらかと言われれば好きという人は多いと思います。
 私は今まで、パンケーキが嫌いだという人にあったことがありませんが、だからと言って、パンケーキが嫌いな人がこの世に全くいないということにはなりません。
 そこを勘違いして、パンケーキは万人が好きなものだと一般化してしまうと、パンケーキ嫌いな人の存在を無視しているか、それはおかしいと否定していることになってしまいます。

 それと同じことだと思っていて、大体の人があの子を嫌いって言うから、みんなあの子が嫌いなんだ、とか、大体の人が残業をしているから、残業をしなければいけないんだ、とか。
 大体がそうだからって、100人いたら100人全員が必ずそうとは限らないのです。あくまで、大体は大体で、必ず例外は存在するし、その例外がどんな理由で例外だったにせよ、悪者になるわけではありません。

 結局のところ何を言いたいかって、同調圧力も、自分の感情に他人を突き合わせている、ただの『自分勝手』に過ぎないよねということが言いたかったんです。とても回り道をしてしまった。

 思いの外、自分の感情に相手を突き合わせずにはいられない人というものは存在すると思うんですよね。こういう人の厄介なところは、「相手のためを思って」と思い込んでいて、「自分があなたにこうして欲しい・こうなって欲しい」という気持ちだと認識していない部分です。
 誰かの言う「あなたのためを思って」というのは、あくまで誰かさんの思ってることで、それに対して自分が「思われているから応えなくては」と感じる必要はありません。誰かさんは勝手に思ってるだけで、自分からそれを望んだわけでは無いからです。


自分勝手でなくなることが、新たな自分勝手を産む

 まあでも、ある程度の協調は大切ですよね。
 残業している人の多い日に定時で帰ってしまったら、他の人に仕事の山が降り掛かってしまうかもしれない。そしたら、周りはあまり良い気がしませんよね。

 しかし、大体の行動には原因があります。
 それを慮りもせずに判断してしまうのは早計です。

 大体の人があの子が嫌いって言うから、逆に仲良くしてみようと近付いてみたら、すごく性格の悪い子だからとか。
 大体の人が残業をしているのは、今日は仕事の多い曜日だからとか。

 すごく極端な例え話だと、せっかく電車が来たのに、全員がホームから改札に向けて走っていくような状況があったら、それは今来た電車で重大なトラブルがあったため、身を護るために逃げているのかもしれません。
 電車が来たからと乗ってしまったら、事故や事件に巻き込まれてしまいます。

 間違った判断で損をするのは、自分である可能性もあります。
 自分の利益のためにも、状況を的確に把握し、判断することが大切ですね。


 ちなみに私は、判断に困った時によく使う考え方があります。
 すごく単純なことで「自分が相手だったら」という考え方です。幼い頃によく、「されて嫌なことはするな」と教わりますよね、それです。

 大体の人があの子が嫌いと言っていたのなら、自分が相手を嫌いになる時ってどういう時かな?と考えます。気が合わないとか、清潔観が合わないとかですかね。嫌いという人に話を聞けるなら、どうして?と聞いてみるのも良いでしょう。
 大体の人が残業をしていたら、自分が残業した日を思い返してみたり、自分の今ある仕事量を計算してみると良いかもしれません。上司や、仲の良い友達に聞いてみたら、的確に状況が把握できるかもしれません。

 とにかく、情報を集めた上で、適切な判断をすることが大切です。
 考えて解決することは限られるので、誰かに聞くという選択も忘れずに。


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