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『いつのおどり子』

えほんスズキです。

1週間が終わり、深夜ちょうど一時。
キンミヤ水割りを飲みながら、noteを書いております。耳にはAirPods。音楽、ラジオは流していません。耳栓、のような効果があるわけでもないのですが、なんとなく。集中できるような、そんな感覚があります。

さて、今日は何を書こう。
前回は「ありし日のアリ」。「あ」から考えました。なので今回は「い」。50音は「あい」から始まります。素敵です。日本語は音にすると「あい」から始まるんです。英語なんて「エービィ」です。背中が丸まったカービィでしょうか。何を吸い込んでも「エビ」のような何かです。

・剣を振り回す「エービィ」
・ビームをまき散らす「エービィ」
・火を吐く「エービィ」
・パラソルを掲げる「エービィ」
・アメリカ先住民のような「エービィ」

日本人でよかった。そんなことを思います。

思わないか。

いつの踊り子

私はダンサーに憧れと嫌悪、どちらの感情も持っています。とはいえ、ダンス経験なんて全くないのですが、確かにどちらの感情も持っている。それはなぜか。
私は身体的な特徴として、「色白低身長童顔」というのがあります。お気づきでしょうか。そうです、真逆なんですよ。「色白低身長童顔」の真逆は「色黒高身長老け顔」です。

はい、EXILEですよね。

EXILEがとり飛ぶ勢いだった2010年代、私は高校生でした。クラスの価値観はEXILEに染まり、「色黒高身長老け顔」ではなく「色白低身長童顔」だった私。向こう5年は日の目を浴びないだろう、そんなことを思ったものです。
そんな時代の流れと多感な時期が見事にはまり、私はEXILEに憧れと同時に嫌悪を覚えているわけです。

そう言えば、そんな私でもダンスをしていた一瞬、いやひと夏がありました。ダンスといっても「ヒップホップ」ではないし、「ブレイク」でもありません。
「ミュージカル的なやつ」です。両腕は広げ高く上げ、同時に右足をまっすぐ前方に投げ出します。右足が地面につくや否や、駆けるポーズで全身を右方にクルっ。そんな感じのダンスだったと記憶しています。
いや、どんなひと夏だよという話ですが、そんな珍しい話でもありません。文化祭の出し物として、クラス全員でダンスをしたわけです。この年になってもダンスの始まりの一連の動きは何となく記憶しています。それだけ新鮮な感覚だったのでしょう。踊るということが。

EXILEと反目する私だったわけですが、ダンスをして気付いたことがあります。全く、ダンスという行為が体になじまないんですね。頭の上からつま先まで、そして心の一番奥の方。心身ともに細部に至るまで、私の中にダンスをするという感覚がないんですね。もちろん経験もないし、日頃人一倍の努力をしていたわけでも無かったですが、いわゆるアメトークの「ダンス踊れない芸人」みたいなことでもないです。音楽が流れ振り付け通り動くのですが、ダンスにならない。「そう動いている」、ほんとそれだけ。ダンスをダンスたらしめるものは、なんなのか。
逆EXILEだし、ダンスの素養もまるでない自分。こう思いました。ダンスをダンスたらしめるものは、言語化できないニュアンスのようなもので、現在がたまたまEXILE的な人間のEXILE的な動きをダンスとしているだけで、そうでない時代もあったのではないか、と。時代、時代の空気感がダンスをダンスたらしめている。

きっと。いや、絶対に色白低身長童顔の単になぞるような動きを至上のダンスとした時代もあったはず。盆踊りとかそういうことかもしれんし。

ボクはいつの時代であればダンス上手とされたのでしょうか。

ボクは「いつの踊り子」なのでしょうか。




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