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ヴォルフガング・ティルマンス展「Moments of life」

表参道。
エスパス ルイ・ヴィトン東京。
拭い難い「アウェイ感」が僕を襲う……。

https://www.espacelouisvuittontokyo.com/ja/detail

「ティルマンスの写真展を観たいのですが」
入り口で伝えると、店員の方が奥のエレベーターまで親切に案内してくれた。
エレベーターは、会場の7階目指して、ゆっくりゆっくり上昇して行った。本当は停止しているのではないかと錯覚しそうなくらい、ゆっくりと。
「到着までのあいだに、壁の鏡で身だしなみを整えておいてくださいね」
そう諭されているかのようでもあった。
どこかで似たシチュエーションに出会った気がする。どこだろう、一体?
……ああ、わかった。村上春樹著『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』の冒頭シーンにそっくりなのだ。

表参道 → ルイ・ヴィトン → 村上春樹 → 上昇しているのか下降しているのか停止しているのかさえ判別不能なエレベーター

そんな、日常から非日常への人工的な飛び石を渡って、僕はティルマンスの世界に向き合った。

ヴォルフガング・ティルマンス。大好きな写真家だ。
ティルマンスほど徹底して、普遍へと繋がる美意識に基づいた作品制作を継続している写真家は、少ない。
何気ない対象から真実の美が立ち上がる。その当たり前の尊さを、彼の写真からは、まるで存在が放射する光のように感じ取ることができる。
もちろん、すべての作品が高みへ昇るプロセスに成功しているわけではない。だが、視線を吸い寄せられたきり、時が過ぎるのを忘れてしまうプリントが何枚もあったことは、疑いようのない事実だ。
ティルマンスは「スナップ」という言葉を嫌っていると聞く。よくわかる気がする。彼のつくり出す美は、間違いなく刹那を切り取ったものではあるが、同時に聖なる永遠性をうっすらと纏っている。

スタッフの方から声を掛けられた。
「ティルマンスの作品がお好きなんですか? どのようなところが?」
突然の問いに驚いていると、
「とても熱心にご覧になられていたので。私自身の勉強のためにも、お客さまの考えをお聞きしたいと思ったのです」
確かに僕は、首をうなだれたチューリップの巨大な写真を、呆けたように何分間も見上げ続けていたのだ。それはこの日、僕が最高に気に入った一枚だった(伺った話では、コロナ禍の最中に撮影された、もっとも新しいコレクションなのだそうだ)。
ティルマンスの写真のどこが好きか……答えるのが難しい質問だ。言葉にならないものを言葉にならない形のまま、写真というメディアですくい上げるのがティルマンスの写真なのだから。
しばらく考えて僕は、次のように返答した。
・極めて繊細な表現。
・嘘を吐いていない。
・料理のレシピに喩えるなら、普通の写真家が0.1g単位で塩加減を調整するところ、0.01g単位までこだわっている。
・展示全体を見終えたら、何だかとても美味しい料理を食べたみたいな気がしました。
(……ちょっとアホっぽい回答だったか)

声を掛けてくださったスタッフの方とは、そのあともしばらく、作品の感想や展示の手法を巡って、話が弾んだ。
大判のプリントは、ピンとWクリップを用いて、一見無造作な雰囲気で壁に留められている。けれども、実際には、ピンを打ち込む角度やWクリップの位置に関して、作家自身と設営チームが入念に検討を加えているのだという。
たわんだプリントが白壁に落とす影も、作品と一体になった自然な柔らかさを醸し出して心地よく、そう感じた旨を僕が伝えたら、エスパス東京の通常の照明器具ではなく、本展専用のライティングをセットしたとの答え。
以前にパリのルイ・ヴィトンのギャラリーでティルマンス展を開催したチームが、来日して作り上げたのが今回の展示で、
「そうした手間を掛けるため、エスパスでは、年に一、二回しか展示会を企画できないのです」
とおっしゃっていた。
会場も点数も、大規模とは言えないかもしれないが、密度の濃い、心の底から観てよかったと思える写真展だった。

(訪問日:2023年3月9日)


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