am07:00、朝の渋谷で写真を撮りながら東京を再考してみた
昨年の4月から1年が経った。
情勢が目まぐるしく変わる中、海外はもちろん国内の旅行も気軽には行きづらくなり、その結果か様々なメディアや雑誌の特集などで東京を再考しているものがよく目に入るようになった。東京のホテル、昔から続く老舗の飲食店、東京の街を撮り下ろしする企画。
今まで見えていなかったもの、見てこなかったものを見つけるような、自分たちの足場を確認するような視点の変化。小さな箱庭に閉じ込められた今、私自身も東京というひとつの街を改めて考えてみたくなった。
週末の午前7時の渋谷。
春は冬に比べて明るくなる時間が早く、もう既に空は青く染まり日が歩道を照らす。
前々から朝の東京を撮ってみたかった。
撮るならなんとなく今だろうと思い、数ある都心の繁華街の中から渋谷を写真に収めることにした。
週末の朝ということもあり人は少ないだろうと思っていたけど
駅の周辺はこれから出勤するであろう人たちの流れがある。
駅から少し離れた通りへ行くと人通りはほとんどなく、渋谷とは思えない静けさが広がっていた。
渋谷もここ数年で本当に変わった。
数多くの商業施設が新しくできて、昔建設途中だった空き地は今では隙間がないくらいぴっちりと埋め尽くされている。
立ち並ぶお店に視線を移しながら道を歩いていると、空きテナントを何店か見かけた。今の情勢も関係あるのだろうか、気持ちが少し波立つのがわかった。
街は時代とともに変化していく。
そこには当然ながら人の思い出や感情も根深くあって、街はそれらを全て飲み込んで姿を変えていくんだと思うと、少しこわい気持ちと、歴史を積み重ねそこにあり続ける感慨深さを感じた。
道路脇に並べられた大量のアルコール缶、到底いい匂いとは言えないような駅周辺を覆う生ゴミの匂い、肩を寄せ合い駅へ向かう男女、酔いが冷めないのか足をふらつかせながら歩く人の姿。
その横を早足で歩く出勤前の人たち。
下を俯いて歩いてる人もいれば、友人2人でマスクを外し声を出して笑いあってる人もいる。
人の生活と記憶が染み込んだ街という土壌。
その中でも一際華々しく映る東京という小さくて大きな街は、膨大なエネルギーをため込んだひとつの国のように思える。持つもの持たざるものにも平等に夢を与え、東京の空のようなグレーなやさしさで甘くきびしく寄り添う。
様々な人間の物語が交差するこの街は、瞬間で姿を変え続け、生み出しては消え、混じっては溶けていくのだ。その全てが街に記憶されていく。
振り切れるまで必死にもがき生きることも、思い立った時に姿を消せるような軽薄さがゆるされるところも、そのどちらにも成りきれないグレーなままでも生きやすいところが東京にはあるような気がする。
冷たいけれど優しい、すべてが許容されるこの街が好きだ。
夜明けを迎えた渋谷の朝は人の気配こそ少ないものの、生々しいほど生の匂いがした。
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