「哲が句」を語る 「はじまり」について④ 直線世界と線分世界

あなたも私ももちろん死ぬ。
先日の記事でそう述べました。
本当にそうでしょうか。


直線は円の一種だ。無限サイズの円ということになっている。
はじまりもおわりもない。
一方、線分にははじまりとおわりがある。有限だ。
宇宙とか世界とかは果てがない、つまり無限だ。
そこに現れたのがはじまりとおわりがある有限の人間である。
有限の人間が世界を読み解こうとすると、無限のままではつかみきれない。
だから世界の中にはじまりとおわりを区切ろうとする。

線分は四角を作る。人間の世界は四角くなる。
でも世界は直線、つまり丸だ。丸にははじまりとおわりがない。
四角をいくら積み重ねても丸にはならない。
四角で丸を読み解くことはできない。
以前の記事も参照願いたい。
「哲が句」を語る トライアル0 四角い世界|ego-saito|note

さて、人間ははじまりとおわりのある線分だと述べたが、本当にはじまりとおわりがあるか。
「わしはまだ一度しか生きたことがない。しかもまだ一度目の途中だ。二、三度生きた者はおらんか」
こんな台詞を将軍に語らせる小説が書きたいと妄想している。
何百万、何千万の人間がいて、どこかに生まれたときのこと、死ぬときのことを知っている者もいるのではないか、そう思っても不思議はない。
実のところ、誰も自分のはじまりとおわりを知らない。誕生と死というものを知って生まれてくる者はいない。誕生も死も後知恵だ。
自分という線分は、両端を欠いている。
端を欠いた線分には、きっとちゃんとした名称があるのだろうけど、私は不勉強で知らない。で、私はこれを偽線分と呼んだ。
偽線分は自分のはじまりとおわりを知らない。だから…

偽線分は
直線の夢を見る

人間は線分でできているのに、はじまりとおわりを欠いている。それで無限なる神=直線の夢を見ることになるのではないか、そんなふうに考えた。
これまでに書いた短文(哲が句)の中でも、最も気に入っているもののひとつ。いつ書いたものかにわかに探し出せないが、たぶん10年内外のものだと思う。


長い話になりましたが、「自分革命 はじまりの誕生」はここまで。
次は第三の革命の話に進みます。

(「自分革命 はじまりの誕生」 これまでの話もよろしかったらお読みください。
「哲が句」を語る 「はじまり」について① 始まって終わるもの|ego-saito|note
→世界には始まって終わるものは何もない、という話です。
「哲が句」を語る 「はじまり」について② はじまりの誕生|ego-saito|note
→「生物」が死の能力を編み出したときが「はじまりの誕生」でした。
「哲が句」を語る 「はじまり」について③ 人間は素粒子か|ego-saito|note
→「はじまり」の話を進めていくと、とんでもない結論に導かれます。)

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