「哲が句」を語る トライアル0 四角い世界

世界は丸い
言葉は四角い
四角で丸を
埋めつくそうたって
無理なこと
2022.12.18

世界は真ん丸だと言った人や言いたい人は、きっとたくさんいる。例えばパルメニデス。最初に真ん丸だと言った人の一人にちがいない。
だが現代の科学の見解は違う。宇宙にはいろいろな歪みがある。その歪みが絶妙なものだから、隙間や端っこに淀みが生まれ、そこからあらゆるものが生まれることになった。
やがてヒトが生まれ、四角が生まれた。
人は四角い世界を作った。その中で人々が生きている。
だが一歩その世界を出ると、そこは丸でできた世界だ。
人々が住む四角い世界では四角が通用するが、丸い世界は四角では分からない。
人は世界を哲学しようとするが、四角で解き明かそうとするなら、それは無意味な試みだ。


自分の考えを短文に残すことを始めて丁度、半世紀ほどになります。最初にふとそれを始めたのは十代の半ばでした。
近頃それを戯れに「哲が句」と呼ぶことにしました。
書いたあと振り返ったことはほとんどありませんでした。思いつくたびに、ただ書いてきました。それについて、他者に語ったこともほとんどありません。
ただ正直なところ、最近数年は新たな考えが浮かぶことはあまりなくなりました。老いたようです。自分に残っている時間が少ないことも意識するようになりました。
語る時が来た、と思いました。

すべて私が勝手に考えてきたことです。でもどこかに私の考えを分かってくれる人がいるかもしれない、そういう期待で語りたいと思いました。
分かってもらえない人に分からせようとは思っていません。
ですから考えを争うつもりはありません。
また、すでにどなたかが言っていることと似ていることを言うこともあるかもしれません。ですが、学問や研究のルールに従って考えているわけではないので、プライオリティ論争をするつもりもありません。

「哲が句」という言葉も、誰か言っているかもしれませんが、私は知りません。
「音が苦」とか「文が苦」みたいな言い方をしている人がいそうです。音楽や文学を極めよう、功を成そうとするなら、たしかに「苦」を乗り越えなければならないでしょう。およそ学とつくもの、それに類するものはみなそうです。なぜならどれもみな、人々が住む四角い世界のルールに従わなければならないからです。ですがそんな中で哲学だけは「苦」を味わうことがありません。何かが分かった時の喜びだけがあります。哲学は一人の人に帰って四角い世界から飛び出していく冒険だからです。

私の了解では
哲学とは
人々から人に
帰ることだ
2022.12.31

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