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【BLACK】「批判するのよくないよね」って言うやつ

前書き

偶然、SNSでヴィーガンを取り上げている投稿を見て思ったことを綴ります。
内容は、「ヴィーガン批判に対する批判」。
簡単にまとめると、ヴィーガン批判する人はヴィーガンについて理解が足りてないところがあるからそこを理解すべきだし、最初はファッション感覚でも始めていけばいいじゃない、とのこと。

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この内容に関して、ぼくは賛否半々といったところ。

先に断っておくと、ぼくはアンチヴィーガンではありません。
動物の肉を食べることで、失われる命があるのは自明の理で、その命をこれ以上無駄に失くさないように肉を食べないという考えにも理解はあります。
ただ、ここで言っておくと、だからといってぼくはヴィーガンになろうとは思いません。理由は後に書きます。

さて、今回はタイトルの通り、このヴィーガン投稿から本題に切り込んでいきます。

おれの本音

まず、投稿を読んだ感想を書きますね。
正直、あの投稿はヴィーガン側にとって都合のいいことを並べていた印象のほうが大きいです。

まず、ヴィーガンへの入り口はファッション感覚でもいいじゃないと言っていたのですが、それは賛成です。始めから本格的でなくても、少しずつ可能な範囲で始めたらいって理想を追いかけたらいいと思ってます。

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ただ、だからといって、人に「肉を食べてて動物がかわいそうと思わないの?」とか「みんなもヴィーガンになるべき!」って押し付けるのは違ってると思います。
どんなものが好きで、どんなものを大切にしているのかは人それぞれです。だから、動物や環境のためという大義名分で人の関心に土足で踏み込んで、その好みに口出しするのは違うと思ってますし、理想を求めて挑戦しているからといって相手を批判していいというのは違いますよね

次に、についてです。
これはぼくも意識してなかったのですが、薬の投薬実験でマウスを使いますよね。その実験で犠牲になるマウスも多くいると思います。ヴィーガンの掲げるスローガンの一つである「動物愛護」という観点から見たら、ヴィーガンが薬を使うのは矛盾ではないかという主張があるそうです。これに対してその投稿では、「薬を飲んで肉を食べないほうが、薬を飲んで肉を食べるよりも一人あたり搾取する動物の数は少なくなる」とのことです。

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ーこのあたりは正直、子供の口喧嘩っぽいところがあるので、あまり突っ込みたくないですね…笑。ただ、せっかくなので少し突っ込みます。
ヴィーガンだって薬を使ったっていいと思ってます。本来は、食用動物の犠牲を減らすことを目的としているヴィーガンからすれば、それは目的外です。さらに、薬は人命に関わるので、迷わず使うべきだと思います。
ただそう言えばよかったのに、犠牲の数で比べてしまっては、自分の都合で動物の命を量るようなものです傲慢極まりないですね
あと、このくだりの後に、完璧でないと矛盾しているというなら、学校でいう「100点じゃないとダメ」「80点とかは矛盾」ということになるのではないか。理想を追求しているなら、不完全でも中途半端でもいいでしょという主張がありました。
これも中々ズレてるんですよね…。あとで触れますが。

最後に、ヴィーガンは押しつけがましいという批判に対しての批判です。
これに対して、「ならあなたは面と向かって、『肉を食べるな』『ヴィーガンになれ』と言われているのか?」とのこと。ヨーロッパに比べてヴィーガン人口が少ないのに、そんなに価値観押し付けられるのか?とも言ってました。さらに、こうやってインターネットやSNSを利用するうちに、勝手に押し付けがましいと感じてしまう「エコーチェンバー現象」も紹介してました。何が言いたかったのか簡単にまとめると、「私たちは発信してるだけです。押し付けられていると勝手に感じているのはあなた自身です。」ということです。

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ーこういうこと言っちゃうから、ヴィーガンは嫌われるんだと思いますね~。ここで、少しあなたに想像してほしいです。近所の学校に通う生徒がコンビニにたむろしているのを見たら、「あそこの学校の生徒はあんなことするんだ」と考えませんか?実際にぼくが高校生の頃、全校集会で「昨日○○したということで近隣の方から苦情が入った。これは、我が校のイメージに関わるので規律をしっかり守るように」とよく言われました。つまり、一人の印象で組織全体のイメージを決めるということです。社会でもそうかと思います。商談での印象がその会社のイメージを決めるからこそ、しっかりと準備して身なりを整えると思います。これは、組織以外でも職業やある思想を持った人たちにもあてはまりますよね。だから、「ヴィーガン」も同様だと思います。ヴィーガンだと公言したうえで、その投稿内で環境危機を煽り、「環境を変えるために、あなたも何か行動すべき!」と訴えたら、「あぁ、ヴィーガンってそういう人たちなんだ」ってなりますよね。実際、その投稿のコメントはヴィーガン賛成派のコメントで埋め尽くされています。同じヴィーガンだから賛成するのかなってぼくも思ってしまいます。しかもこの状況、まさにその投稿の言葉を借りるなら、エコーチェンバー現象の典型ですね。こうして、ノンヴィーガンに対するアンチ思想が深まっていくわけです。
しかも、この投稿とその反響を見ると、恐らく主張した人自身はヴィーガンの正当性を訴えて身内に褒められたいだけな印象がありますね笑。コメントを見てると、それが分かります笑

と、ここまで長く語りましたので、少し休憩にしましょう!
次からいよいよ本題です!

批判に批判で返す人って大抵こうじゃない?

SNSの投稿を紹介しようとしたら、かなり長くなりました…笑
こんな感じで批判するのはよくないというのは、一体どういうものなのかを例示しました。

このような話は何もここに限ったことではありません。
いわゆる少数派の人たちが多数派に押しつぶされないように奮起している時に、その少数派に対して批判を投げかけた時にも同じようなことが起きていませんでしたか?

そんな時に、批判された側の人たちは決まって自分が正しく、その批判する相手が間違っているという前提で話を進めます。
だからよく「批判する人は暇なんだ、何かに熱中出来ていない」「自分の思う道を進んでいるだけ。何が悪いの?」と似たような内容を語ります。SNSでは多くないですか?

はっきり言って、上の内容は一概にも正しいとは限りません
これこそ子どもの口喧嘩みたいですが、そういう風に批判する人に批判で返しているということは、その相手と同じ土俵に乗っていることになるからです。だって、上の内容って「批判する人を批判している」ことになってませんか?どちらも大差ないですよね。
結構こういう内容を言ってる、もしくは書き込んでる人って何だか「私はあなたと同じステージにはいないのよ、もっと上のステージにいるのよ」感出してません?そういう投稿とその投稿への賛同コメント見てると、すごいサムいなって思っちゃうんです笑。「いや、その批判にのっかってる時点で同じステージやん笑」って笑
本当に違うステージにいる人なら恐らく、そんな批判にも返さないだろうし、何なら不言実行で実力を見せつけていると思います。

批判は殺しも出来れば生かしも出来る

そもそも、なんで批判返しをするのか?
この記事を書く中で、この疑問が浮上しました。
そして、自分と置き換えて考えた結果をここに書いておきます。

恐らく、批判返しする人たちは、批判されることが「自分たちのポリシーを揺るがす危険なこと」と思っているのかもしれないんです。
いわば、批判返しは防衛反応なんだろうと思います。

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そう思えば、納得ができます。
例えば、怒られた時についつい言い訳をしてしまうことだって、怒られている自分を少しでも守ろうとしているからです。
あなたにも経験ないですか?

そう考えると確かに批判されると、抵抗を覚えますよね。
けど、その批判は生かせないものでしょうか?
単なる誹謗中傷による批判は傷つけるものでしかないですが、それ以外の批判は「今の自分に足りていないもの」を気づかせてくれるものになりませんか?

例えば、SNSでの内容に関しての「こういう言い方はよくない」という批判は、自分では気づきにくいことを気づかせてくれますよね。

こういう風に批判は自分のために生かせる可能性も十分にあるわけです。
これを「批判する人は敵」と断定して切り捨ててしまうのはあまりにももったいない気がします

この記事を読んでくださっているあなたもよかったら、批判されたと思った瞬間に一度思いとどまって自分に生かせるか考えてみてはいかがでしょうか?

おれがヴィーガンにならない理由

例に出したとはいえヴィーガンに触れたので、なぜぼくがヴィーガンにならないかについても書いておきます。

それは正直、「おれたちが肉を食べることを止めてどうなる?」というのが本音です。

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確かに肉の消費があるから、動物が犠牲になっているという現状には異論ありません。しかし、おれたちが肉の消費を止めたところで肉の生産が止まらなければ意味はないように思います。むしろ、生産されたままで消費が減って廃棄が増えるようなことがあれば、犠牲になった動物たちがうかばれないと思います。

そして、おれたち人間はこれまで食物連鎖の中で、他の動物の肉を食べることで栄養バランスを整えて生きてきました。それを途端に変更することは必ず、支障をきたしてきます。実際、ヴィーガンを続けていた人の中で栄養バランスの偏りが原因で病気になった人もいます。やはり、動物肉からタンパク質等を摂取することは重要だったのです。
なので、自分の健康を考慮すると、やはり肉は食べる必要があると判断しました。その代わり、犠牲のうえで今の人生が成り立っているという意識はしかり持つようになりました。

この二つの考えから、おれはヴィーガンにならないと決めました。
これを読んでるヴィーガンの方に何か言えるほど、自分は偉くないので、逆にここが違うと思うところがあれば、コメントください。

このまま終わってしまったら、「動物をそのまま犠牲にしておくつもりか!」なんて言われそうなので、ここに自分なりの考えを書いておきます。

端的に言うなら、消費に見合った生産をすればいいと思います。
少し話が変わりますが、今や食品ロスも問題視されています。これは、食品廃棄量が増加している問題ですね。この問題の主な対策としては、「食べ切れる量(適正量)を購入すること」があげられています。
この問題の対策にもつながりますが、「生産量を調整したらいい」と思います。正直、上記の対策は個人頼みになっていて、個々人の意識変化を促すのはかなり困難かと思います。なら、店頭に並ぶ肉などの食品の量を減らせば、消費量も減らせると思うんです。そうすれば、個人の意識に関わらず肉の消費を抑えられると思います。

批判する人にも思うこと

批判返ししてる人ばかりでなく、批判する人にも書こうかな。

批判してそれを返されたり、返してる様子を見て何かと思うところがあったりする人もいると思います。
「批判は殺しも出来れば生かしも出来る」にも書いた通り、批判は生かせばプラスになります。
なので、あなたも何かに(誰かに)批判したいと思った時は、どうなれば良くなるかも加えて批判してあげてはいかがでしょうか?

それでも、批判返しされたり、している様子を見たりしたら、「あぁあ、言ってあげたのにな~」と心の中で言ってやってください笑

最後に

ここでもう一度書いておくけど、おれはヴィーガンに反対する気は更々ないし、動物愛護とか環境問題に取り組むその姿勢には尊敬している。
ただ、だからといってノンヴィーガンを批判するのは違うし、許される行為ではないという思いを分かってほしいなと思ってる。
それと同時に、動物愛護や環境問題を周りの誰よりも真剣に捉えて考えているあなただからこそ、ノンヴィーガンとも手を取り合って諸問題への対策を考えられると思うので、ノンヴィーガンを批判する前に少し思いとどまってほしい。

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そして、批判という行為は悪と捉えられがちだが、生かせば現状をさらに良くする薬にもなる。
だから、批判を受けてもそれを返したり無視したりせずに、一度手に取って生かせるかを検討して欲しい。
もし、生かせないならその後に捨てたって遅くはないから。

あとがき

こんだけ書いておいて、正直ビビってます笑
ビビっているのに、下書きは溜まる一方なんです…笑

あとこのシリーズ、めっちゃ書きたいことは溜まるのに、書き上げるのに時間がかかりすぎてる…
来年はさらにスピードあげていきたいな~

あなたのサポートがぼくの執筆の力になります!本当にありがとうございます!