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【創作】風に身をまかせ

「ええか、コウキ。風に身を任せていれば、人生何とかなる。それでええ」

それが親父の口ぐせだった。

「人生には何度も何度も風が吹く。追い風のときもあれば、向かい風のときもある。そよ風みたいに爽やかに吹くこともあれば、台風みたいに強く激しく吹くこともある。そのときそのときで風の強さや方向を見極めて、自分の身を任せれば無駄な力を使わず生きられる」

その方が、無理することなく楽に楽しく生きられるというのが親父の主張だった。おかげで俺は、10代の前半で受賞した文学賞という「風に身をまかせ」、『作家 カワノコウキ』として現在に至っている。

「それで、そのお父様は今もご健在なんですか?」

それまで、俺の話を黙って聞いていた編集者の柏木が問いかけた。

「ああ、90過ぎだけど今も介護施設で暮らしてるよ。まぁもっとも、長い人生で風に吹かれすぎたせいか記憶もふっ飛んじまったみたいで、会うたび俺に「はじめまして、ご苦労さんです」って挨拶してくれるんだ」

「…悲しいですね」

「いいや、全然。むしろこっちも「はじめまして、お父さん。今日はよろしくお願いしますね」ってニコニコ挨拶して、毎回違う介護スタッフのフリしてるんだ。そのたびに、自分が書いてきた小説のキャラクターを演じてるから、作家稼業もなかなか役に立ってるよ」

「途中で気づかれませんか?」

「気づいてないと思うけどな。ただ、別れ際にいっつもあの口ぐせを言うんだ。「風に身を任せていれば、人生何とかなる」ってね」

「意外と、全部ご承知の上だったりして」

「そうだったら面白いな。そもそも、この言葉のおかげで俺は作家になれたようなもんだし」

すると、柏木は何かに気づいて「あぁ、そうか…」と呟いた後、俺にこう言った。

「もし、その言葉がなければ私と河野君はただの同級生のままだっだってことですよね。今、河野君と私が作家と編集者という関係でいられるのはお父様のおかげですよ。ありがたいことですね」  

身ぃ任せなきゃよかったかな…と、俺は自らの人生の選択を若干後悔しつつ、この口うるさい編集者がすぐ横にいるから俺は未だに作家でいられるのかもしれない、とも思った。

誠に不本意だが、今日も俺の周りは良い風が吹いているようだ。

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