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大人になった私が、子供の頃の私を救いに行く
つい最近、嬉し泣きをした。
止めようとしても止まらない。嗚咽するくらい泣いた。きっとこの涙は、子供の頃の私の涙だと思う。
個人的に2023年は奇跡の一年だった。
ずっと蓋をしてきた自分の過去と、自然に向き合う流れが次々と起こった感じ。
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大人になってから出会った人達には、ほぼ誰にも話したことがないし、
話すつもりもなかったことなんだけど
私は4歳くらいから12年間くらい、
家族以外の人の前では声が出せなかった。
「場面緘黙症」という精神疾患(不安症の一種)で、
ひとことで言うと、人の目が異常に怖くなってしまい本来の自分を出せなくなってしまうという感覚。
学校では声が出せなかったので友達と会話ができなかったのと、
注目されるような場面では体が動かなくなってしまったりする。
例えば運動会のダンスとかは、体が動かず棒立ちになってしまったり
徒競走やリレーは誰かに手を繋いで引っ張ってもらわないと走れなかった。
とにかく心も体も緊張状態になるので
いつも学校から帰ってくると疲労感がすごかった。
原因は分からない。引っ越して環境が変わったからとか、何かきっかけとなる出来事があったんだと思う。
この病気は人によって症状が様々で
表情も引きつって常に無表情になってしまう人もいるし、軽めだと数年で治る人もいる。
私の場合は高校入学を機に少しずつ治っていった感じで、喋れない分、笑顔でいることはできていたと思う。
あと、この病気の辛いところは
周りの人に理解されにくいということ。
家族とは普通に話せるので、学校ではどうして喋らないの?という見方をされる。
喋らないんじゃない。声が出なくなってしまうんだ。
この苦しみを分かってもらえないことが多く、
私の辛さは誰にも分かってもらえないのだと、心を閉ざしてしまったように思う。
そういえば大人になった今でも、どうしても人に壁を作ってしまったり心を閉ざしてしまう癖があって。
私の気持ちは誰にも分かってもらえないんじゃないかという不安感や孤独感が漠然とあった。
それがどうしてなのかずっと不思議だったけれど、この孤独感の正体は子供の頃の自分の経験からきているのだなと最近気づいたりした。
病気になる前の私は
すごく活発でお喋りで、人から注目されるのが好きな子供だったらしくて
お遊戯会で、後ろのポジションだったのに勝手に前に出てきたりするような子だったらしい。
つまり本来の自分とは真逆になってしまったということ。
アイデンティティを失ったような感覚だった。
幸い友達には恵まれてたんだけど、
いじめもたくさん経験した。
でも何より一番辛かったのは
「本来の自分でいられないこと」だった。
子供の頃に経験したことは、その後の人生にも大きく影響を及ぼすようで
”周りの子が当たり前にできていることが、自分にはできない”
幼少期、思春期に毎日そんなこと感じながら過ごしていたから
大人になってからも、
”人と比べて自分はダメなんだ”
という感覚がなかなか抜けなかった。
そして思い出すのが辛いからなのか、いつの間にか過去の自分に蓋をするようになっていた。
でも今年、不思議なことに過去と向き合うきっかけがあったのです。
そのなかで感情解放のワークというのがあって、自分の中の悲しみをぐわーって吐き出す機会があって。
そこで、ずっと自分の中で癒えていない悲しみがあることに気づいた。
「もっと声を出したかった」
「もっと思いっきり体を動かしたかった」
「もっとみんなと話したかった」
「こんなに辛いのに誰にもわかってもらえない。寂しいよ」
「本当の自分でいたかった」
「普通に楽しい学校生活を送りたかった」
全然泣こうとしてないのに涙が溢れて止まらなかった。自分の中にこんなにも悲しみが残っていたことに驚いた。
そしていろんなワンシーンが蘇ってきたのです。
周りの友達がしてた、好きなドラマの話(当時は花より男子とか流行ってた)私も会話に入りたかったな
中学の修学旅行、みんなと一緒に行きたかったな(3泊4日、声が出せないのは辛いので行かない選択をした)
クラスの合唱祭の課題曲、
私が大好きなHYの「モノクロ」だった。
みんなと一緒に歌いたかったな
楽しそうにダンスを踊ってる同級生を見て、
私もあんなふうにキラキラした笑顔で一緒に踊りたかったな…
些細なことばかりだけど、私は日々
やりたくてもできなかったという
数え切れないぐらいの落胆を積み重ねるしかなかった。
私ずっとこのままなのかな。ずっと本来の自分じゃない姿で生きなきゃいけないのかな。
それなら何のために生きてるのかな?
毎日そんなことを思っていたなぁ。
それは言葉では言い表せないくらいの
深い深い絶望で、先の見えない苦しさがあった。
正直に言ってしまうと、こんな苦しい思いをするくらいなら消えてしまいたい
と思ってしまうときが何度もありました。
ずっと蓋をしていた当時の自分の
悲しみや悔しさ、孤独、落胆
そこに大人になった私がスポットライトを当てて、寄り添ってあげたとき
深い癒しが起こった。
全ての感情は等しく尊いんだと思う。
だから全部ちゃんと見てあげないといけなかったんだ。蓋をするから苦しかったんだ。
誰にも分かってもらえなくても、私が私の悲しみに寄り添ってあげることが大事だったんだ。
悲しみが癒えてから思い出したワンシーンは温かいものだった。
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今は病気が治っているとはいえ、
すぐに簡単に喋れるようになったわけじゃない。
中学生の時、友達が「トーク練習」と題して
毎日放課後、喋る練習に付き合ってくれた。
今日は「うん」って言えるようになろう!とか
今日は「単語」言えるように頑張ろう!とか
それができたら今度は「文章」言えるようになろう!とか課題を出してくれて。
でも最初は「うん」すらなかなか言えなかったし
簡単な単語を言えるようになるのにも数ヶ月ぐらいかかったように思う。
本当に気が遠くなるようなやり取りだったと思う。それでも遅くまで残って、練習に付き合ってくれた。
高校に入って環境が変わってからは、授業で当てられたときに答えられるように頑張った。
でも先生から何度も「全然聞こえない!」と言われて、自分ではすごく頑張って声を出しているつもりなのに、周りの人には全然届いていないという落差にひどく落ち込んだし、
どうしてこんなことも出来ないんだろうって、
毎日自分を責めていたように思う。
それでも、本当の自分で生きることを諦めたくなくて、立ち向かうしかなかった。
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今の私が友達と普通に会話して、
社会人として普通に働けていること。
それは私のために地道に練習に付き合ってくれた優しい友達がいたから。
思うようにいかなくて辛くても、諦めずに頑張り続けた自分がいたから。
周りの人に助けてもらわないと何もできなかったけど、
逆に言うと、たくさんの人に助けてもらったから今の私がいる。
過去に蓋をするってことは、そんな人の優しさや自分の頑張りにも蓋をしてたってことだ。
ずっとただただ苦しい時代だと思ってた。
心の奥ではずっと、自分のこと欠けている存在だと思ってた。
思い出したくもないし、誰にも知られたくないって思ってた。
でも過去の自分がいるから、今の私がいる。
病気になってしまって、思うような幼少期・青春時代を送れなかった自分も
周りの人に助けてもらわないと何もできなかった自分も
それでも地道に頑張って、病気を克服できた自分も
大人になってからも、劣等感がなかなか消えなかった自分も
その日々を経て、自分の心を一番大事にして生きている今の自分も
全部、愛したいと思った。
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そして過去の自分も含めて愛せるようになったとき
「今本当にしたいことは何?」と自分に問いかけたのです。
すると、あのワンシーンが頭をよぎった。
楽しそうにダンスを踊ってる同級生を見て、
私もあんなふうにキラキラした笑顔で一緒に踊りたかったな…と落胆したときのこと
それで今年最後に、ひとつ大きな挑戦をした。
そう、ダンス。
子供の頃やりたくてもできなかったことを、大人になった私が叶えにいく。
SFみたいでなんかいいな。
「かしえり卍リベンジャーズ(仮)」
早速ダンスコミュニティに参加した。
内容は、4回レッスンがあって最後の日に1人ずつ踊って動画を撮るというもの。
激しい曲と振り付けで、初心者には難しく
何度も心折れそうになったけれど
この1ヶ月間、本気でたくさん練習した。
やりたくてもできなかったことを、今やれてるんだと思ったら嬉しかったから。
大人になると、幸せになりたいとか満たされない思いを抱えながら色々思うけど、結局は「子供の頃にやりたくても出来なかったことを大人になった自分がやってあげる」とか「子供の頃の蓋をしてた感情や悲しみに寄り添ってあげる」ということをするのが、心が1番満たされる方法なのかもって最近気付いた
— かしえり (@riri___365) November 7, 2023
だから私は最近、損得勘定抜きで
— かしえり (@riri___365) November 7, 2023
幼少期や思春期の頃の自分がやりたくてもできなかったことに挑戦したりしてる。別にそんなことしなくたって人生は進んでいくし、意味は無いことかもしれない。でもね、不思議なくらい心が満たされる感覚があるんです。
それでつい最近、最後の日を迎えて動画を撮ってもらったんです。
みんなに見られている中で、動画を撮られながら踊るって昔の自分では考えられなかったこと。
だって怖くて体が動かなかったんだから。
でも撮ってもらった動画を見たら、
人に見られているなかで、堂々と思いっきり体を動かして表現している自分がいた。
その動画を何度も見返しては、号泣した。
それは今の私の涙じゃなく、過去の私の、喜びの涙だと思った。
ずっとこういうことがやりたかったの!!!と
子供の頃の私が喜んでる感覚を、確かに感じた。
人生で嬉し泣きすることってそんな頻繁にはないことだったけど、昨日2時間ぐらい嬉し涙が止まらなかった。ずっとやってみたかったことに、やっと挑戦できた。それだけでこんなに涙が出るほど過去の私が救われたんだね。これほんと自分にしか分からない感動だなぁ。怖くても挑戦して本当によかった。
— かしえり (@riri___365) December 24, 2023
私は、私の心が喜ぶことをもっとやってあげたいと思った。
人前での表現ってやっぱりまだ1番怖いことだけど、少しずつでも挑戦していきたい。
今回はダンスだったけど、ボイトレにも通ってみたいし
演技とかモデルさんとか芸人さんとか(?)にも憧れがある。
でも何をやるかが重要なわけじゃなくて
自分を心から信頼して、人前でリラックスして思いっきり表現できる感覚。
私にとってそれが一番ほしいものなのなんだと思う。
私がよくnoteやTwitter(X)などで自分らしく生きることについて多く発信しているのは
過去に、人の目が怖くなってアイデンティティを失った時代があったからなんだと思う。
うちら人間は、ただ地球に遊びに来ただけなんだ。だから自由に楽しんで生きればいい。
この感覚を何より自分が忘れないように、言い聞かせる意味で発信していたのかもしれないな。
自分らしく生きれなかった苦しい時代があったから、
人一倍、自分らしく生きたいと強く強く思うようになった。
だから、自分も周りの人も、
人の目を気にせず自分らしく生きてほしいし
こういう経験をした人間が発信するからこそ、届くものがあるんじゃないかと思って
今回、勇気を出して書いてみました。
過去の話をこうしてnoteに書けたこと。
それは私が自分の過去を愛せるようになった証だと思う。
2023年
私はやっと、過去の私と手を繋げた気がする。
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