ミーハーと時代の流れ ep6

某ブランド退社後 27〜8歳かな

早速、高校の時の親友2人とショップ立ち上げ準備に(2人ともアパレル業出身)

社長を決め(親がアパレル会社の社長)多少バックアップしてもらい、保証人的な

皆、金も大してないので銀行やらで融資しつつ資金出しあって準備

ショップの場所、取扱う物、それだけじゃ食えなさそうなので事務所借りて企画、生産業出来るよう まぁ物件探し大阪は南船場から堀江に流れがかわり立花通りには名の通った所が出店し家賃も高騰しつつありました。昔からの家具屋通りで空いてる物件自体少なく難航してました。 

それだけではなく取扱うブランドが大変で私たちがやろうとしてたストリート系ブランドがなかなか大変で裏原系は大体各地方決められたセレクトで展開する感じで新規では手の出ない状態でバッティングもすごく嫌ってましたので

とりあえず東京の知り合い伝いにモ◯タウンを紹介してもらい丁度新しく千寿さ◯がブランドを立ち上げるとのことなかなか良いタイミング、普通だと話すら聞いてもらえないが知り合いパワーで会えるとこまでは

それと別で中目黒の離れに新しいショップブランドが立ち上がった情報がスタイリストの野口さ◯の先輩が立ち上げたようで頭角あらわそうとしているとこで早速連絡、とりあえず会えそうで私は東京の後輩もいたのでとりあえず上京1月ほどいろいろ動こうと、その間に大阪では物件だなんだ準備活動 そうやって動き出しました。

東京では後輩(今じゃ売れっ子スタイリスト)の家に泊めてもらいあちゃこちゃ伝手を使い情報収集、今じゃ考えられないが本当に買い付けるのが大変な時代でした。ついでにフェイマスの神◯くんやらリアライズやらOEM的な仕事も売り込みつつモータウンへ行き千寿さ◯と熊谷◯さんがいる事務所へ是非やりたいと熱い話で先方も今までと違うイメージで売りたいと言うのが合致し取引出来そうな感じでまたレディースも展開したかったので丁度モータウンで展開してた米山さ◯のブランドもやらしてやもうことに、とりあえず2つ決まった

*千寿さ◯は裏原初期のショップELTの元ディレクターで米山◯んはUAの元レディースデザイナーでした雑誌miniなどのストリート系女子ブランドの走りでした。

そんな感じで東京で昼はいろいろ動き、夜は後輩の家が中目で近所のバーで毎晩朝方まで飲んでました。そのバーが知る人が知るロックステディです。店主は森◯ん(現ワッコマリ◯)店は全てM&◯、お客は業界系お洒落さんのみ、最初全く知らず近所やし落ち着くので行ってましたが

だんだんしゃべるとなるほど(元jリーガでドレッド)気づきだし…

ウルフズヘッ◯の幹◯くんなんかもよく来て一緒にハイローズなんか歌って大騒ぎYO◯やら極楽やら今考えたらだいぶすごいな…2〜3年は東京行けば顔出してました。潰れるまで〜

次は中目黒のブランドに行きまだ立ち上げたばかりで卸出来る体制じゃない感じでしたがショップ店長と中の人くどき何とかボスに了承取ってもらいました。野口◯先輩でサーフィン大好きな方で緩い感じの服でした。客にキムタ◯とからしくサーフィン仲間、ヒスとも繋がりがあったり服も古着風で新鮮売れる香りぷんぷんしてました。

またボスはほとんど顔出さずサーフィン三昧ロン毛でチーマみたいな方でした。マーヤ◯知る人ぞ知る方でブランドはTM◯です。

まぁそんなこんなで大体ラインナップ出来

お店と会社名もDO THE RIGHT THINGに決定!本当にやりたい事をやろう的な、まぁスパイクリー世代なので

物件も決まり事務所も決まり半年ほどで準備出来ました。場所は堀江の更に奥、お店は隣のシュハ◯くらいで、丁度内装も別でされてたので先輩に紹介してもらい格安で什器なんか作ってもらいました。当時は裏原系ブランドは店もハイブラくらい金かけて凄かったのですが

金もないわりにはまぁまぁ頑張った感じでした。

そしていよいよオープンへ 丁度、2000年でした。

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