細やかな幸せで喜べる人に
皆さんこんにちは
ふと襲ってくる寂しさ、つまり「孤独」について考えてみました。
心の中に寂しさや虚しさという感情が渦巻いている。
その深淵にどうしようもない力で蝕まれていく絶望を感じるのは何故でしょうか?
本書の内容「普通がいい」という病(泉谷閑示)第6講「愛と欲望」
➡私たち人間は「孤独な個」でしかないと認めなければならないのですね。
➡自己犠牲や我慢は見返りを求める限り「偽善」なのですね。
私自身、愛と偽善を誤解していました。。
➡まずは自分の器を満たせて初めて、余った分を相手に分けられる。
「これ、要らないからあげるよ」=不要品。
見返りを求めていない点で愛と言える。
★自分を満たす器が小さければ小さいほど愛することが出来るのか。
【結論】
愛は自己満足の延長線上にしか成立しない。
自分を満たして初めて成立するものが「愛」なのだから。
自分が不満であれば、そこには必ず見返りを求める「欲」が存在するから。
【まとめ】
・我々人間は初めから「孤独」。
・「偽善」は「感謝されたい欲」で濁っている。
・「愛」は不要品のお裾分け。それ故、透明で純粋。
・「欲望」は自分自身が満たされていない証。満たすことにより初めて他人に愛を与えられる。
【感想・考察】
「愛」は高次元の美しさがあると誤解していました。
小さい子や赤ちゃんが愛らしいと感じるのは、彼らは満たされているからなのでしょう。
自分自身を満たすには、些細な事でも満足する。
そういった細(ささ)やかな幸せで満足する人は美しく愛ある人なのでしょう。
以上です。