教育と人材育成について
今日は教育と人材育成について書いていきます。
先日とあるお食事会で出た二つの言葉。「教育」と「人材育成」のことについてお話を伺い非常に興味深かったため取り上げることにしました。
私自身、この二つの違いについて考えることもなかったし、あまり明確な違いについて理解できていなかったので改めてここで整理していきたいと思います。
みなさんは、教育と人材育成の違いについていかがお考えでしょうか?
ぜひこのブログを読み進める前に考えてみてください。
教育と人材育成についての定義
まずは定義から見ていきます。
教育について調べてみるとこんな言葉が出てきます。
こちらは文部科学省の教育の目的から出てきたものになります。
印象的なのは、「人格の完成」というのと、「平和的な国家及び社会の形成者」というところですね。
やはりどこまでも教育は国家形成のために必要な概念であり、国に対する理解やこれからの自国社会を形成していくための準備としての教育のような表現になっています。
正しい表現や詳細については上のページに記載があります。詳細を確認する場合は、こちらをご確認ください。
続いて、人材育成についてです。
Indeedの人材育成の定義によると、あくまで企業が戦略目的を達成するために必要なスキル・能力・コンピテンシーを育成する仕組みのことを指します。
つまり、目的が、国なのか、企業なのか、という違いがあるということです。
教育と人材育成は同義なのか?
続いて、教育と人材育成というこの二つの概念の共通項と相違点について考えていきたいと思います。
資本主義社会において国単位における経済活動は極めて重要な立ち位置にいるため、実は教育と人材育成の目指すべきところには共通点もあるのではないかと考えます。
こちらは2009年と10年前の経団連が示したこれからの人材の確保についての図です。この図自体は経団連が作成しているものの、文部科学省のページの中で紹介がされています。
まさに、経済の領域と教育の領域が交わっていることを示しています。
また、以下のブログでも記載した「生きる力」をまとめたブログでも、21世紀型スキルはまさに経済活動における競争力を高めるための資質能力が羅列されており、また日本の一部私学や学校においてもこれらの資質能力を習得するようなカリキュラムで授業を展開している学校も見受けられます。
このように、「教育」と「人材育成」で求められる資質・能力は一定の共通項があるということがわかります。
教育にあって人材育成にないもの
一方で、交わらない点はどこなのか、ということです。
文部科学省の教育の目的では、上のような記載があります。
人格の完成とは、以下のように表現されています。
印象的なのは、"真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。"あたりでしょうか。
これは言い換えると、人間の営み全てにおける真実や善いこと、美しさを科学などの知識や道徳的な部分、またアート的な部分、それぞれの領域において発展し、完成に至ること、と言えます。
人格の完成とあるように、経済は特に最終ゴールとして語られるのではなく、あくまで個人が「真・善・美」の領域において発展することが目的にあるようです。
また、"平和的な国家及び社会の形成者として、(以下の徳目を有する)心身ともに健康な国民の育成を期すること。"については、上に述べた「真・善・美」の発展が平和な国家及び社会の形勢者となることを指しています。
(詳しくはページをご覧ください。)
学校教育で求められること
さて、これらを鑑みた上で、教育課程において求められる教育とはどのようなものでしょうか。
もちろん問答無用で文部科学省が教育の目的を出しているわけですから、学校教育においても、これらに定められた教育の目的を達成するために学校という教育機関が存在します。
しかしながら、近年の学校教育では、ますます「人材育成」に必要な要素を教育課程のも積極的に取り入れられ、小さいうちからいわゆる"社会人でバリバリ活躍する人材"を目指して、カリキュラムが設計されています。
大学教育はまさにそのような側面が強くなっていることは否めないでしょう。私自身も大学3年生になれば、就活のことを考えていたし、大学卒業前から企業でのインターンなどもしていたわけです。
それ自体を否定するつもりは全くありませんが、実際まだ大学生活も2年間を残していたわけで、もうちょっと学問自体を楽しむこと、知を純粋に獲得することだけに焦点をあててもよかったかもしれません。
また、大学教育に関わらず高校や中学にも社会人になるための準備として今年度から新しく始まった「総合的な探究の時間」などで大人が仕事で実際に行っているような業務の擬似体験ができたりと機会は広がっています。
この事実自体は歓迎すべきことではあります。社会に開かれた学校を謳っている以上はもっと地域や企業と学校がつながる必要はあります。それによって多くの児童生徒がキャリアを考えるチャンスが増えますし、それによって多岐にわたる選択肢を提示することもできます。
しかしながら、忘れてはいけないのは、本来あるべき教育の目的はなんなのか、という点です。
もちろん将来に活かせそうな資質・能力をトレーニングするようなプログラムは重要ではありますが、それと同等、いやそれ以上に学問のそれ自体を愛することであったり、人としての人格形成を様々な経済非合理性的な行為を繰り返しながら完成させていくというプロセスも必要なのではないかと思えてくるわけです。
その経済活動に必要な資質能力とそれ以外の人として必要な資質能力をバランスよく取り入れた教育カリキュラムを意識していくことが必要なのではないでしょうか。
皆さんと共に今一度、これから向かうべき教育の方向性について考えていきたいと思います。
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