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私たちが12ヶ月という単位で振り返る理由

はじめに

みなさん、2024年が始まりましたね。新しい1年はみなさんにとってどのような感覚でしょうか。元旦に非常に大変なニュースが立て続けに報道されている状況です。どうか一人でも多くの方々が無事でありますようにと願っている次第です。

さて、2024年はそんな波乱な幕開けとなりましたが、今回は「年が明ける」という感覚について考えてみたいと思います。

最近、年齢の積み重ねとともに1年という時間の単位が短くなっている感覚に陥ります。

きっとみなさんもそのような感覚をお持ちではないのでしょうか。

あれ、あっという間に年末だ、あっという間に次の月だ、なんてことはないでしょうか。

そして、12月の末になると、テレビでは今年の振り返りを至る所で報道し、SNSを見ると「こんな一年だった」「お世話になった人に感謝」と振り返り投稿が蠢きます。

もちろん私も日々たくさんの方々にお世話になっていますので、その感謝の気持ちを込めてメッセージを投稿します。

振り返りは教育業界においても重要だと言われています。積極的にリフレクションをしている学生ほど成績が高いという結果や、自身の成長を促す、という論文は多く存在しています。

ただ、ふと思うのです。
なぜ年の瀬になるとそのような行いをするのだろうか、と。

同時に、果たして"1年"という時間の単位は適切なのであろうか、とも思うのです。

私も2023年の末にこの12ヶ月で起こったあらゆる出来事を振り返り、反省をしました。

この時間は自分を客観視するとともに、次の打ち手が明確になり、大変有意義なものとなりました。他方で、なぜこの行為をもっと頻繁に行わないのか、ということを感じました。

私自身1年の中でも節目節目では簡単な振り返りをするものの、しっかりと1時間以上時間をとり、客観視して振り返りをするタイミングはあまりありません。

なんか少し意味のない行為のように思えてしまう感覚にすらなっている自分がいます。実際やってみると、とても意味があることであるのに。

では、この12ヶ月という時間は何を意味するのか、考えてみたいと思います。

12という数字が私たちに根付く理由

これは有名な話かもしれないですが、1年が12ヶ月あるのは月との関係からきていると言われています。満月がおよそ1月に1度の頻度で現れることから12ヶ月という単位が私たちを時間を表すのに使われています。

また、この記事を見ると、12という数字は至る所で使われています。

干支、1日は24時間 (12×2)、星座、ギリシャ神話の神の数も12、英語のDozenも12を意味し、1ダースも12です。

私たちの日常には至る所で12が使われています。

なので私たちは何気なく12という数字について違和感なく受け入れていますが、あくまで自然の周期的な観測からの単位であることがわかります。

現代社会における12ヶ月とそれ以前の12ヶ月

続いて、私が疑問に思っている12ヶ月が短いのではないか、という違和感についてですが、そう感じる理由はやはり現代社会がより高度化し、より複雑化しているからだと考えます。

例えば、このような経験はないでしょうか。
あなたは居酒屋のアルバイトでホールスタッフとして働いており、満席時に接客をする時と、お客さんが数名程度しかいなく、閑散としている時とで時間の流れに違いはないでしょうか。

私もアルバイトをしていた経験があるが、前者の方が圧倒的に時間の流れの速さを感じます。

そして、あっという間に1年が過ぎ去っていく感覚を持つのは、つまり私の人生自体が常に忙しい状況にある、ということを指し示しているのではないかと思います。

ただ、これは私自身が特別に忙しいから時の流れが早く感じる、というのではなく、多かれ少なかれみなさんも同じ感覚に陥っているのではないかと推測できるのです。みなさんはどうでしょうか。

個人的な仮説レベルですが、この影響は情報化社会とそれ以前の社会で分かれるのではないかと思っています。私たちは今、一人一台のスマホを持ち、いつでもどこでもインターネットに接続された社会で生きています。

これについては以下のブログでまとめていますので、ぜひご覧ください。

そして、ありとあらゆる刺激的なコンテンツが私たちの時間を奪います。

こうして私たちは気付かぬうちに時の流れを進めてしまっているのです。

おそらく誰しもがスマホを持つ前の社会よりも5倍以上、いやもっとそれ以上の情報を個々人が手にしているのではないかと思われます。

そうなるとどうでしょう。

ここで年の瀬の"振り返り"に話を戻しますが、1年という単位はかなり長い時間を表すことになります。

仮に20年前よりも5倍情報へのアクセスができるようになったと仮定する場合、20年前の12ヶ月分は、今であればたった2.4ヶ月分で同じ情報レベルに到達できる、ということになります。そして、今の12ヶ月分に換算すると、20年前の12ヶ月分は60ヶ月分(つまり5年分)に匹敵するということになります。

私の肌感覚では5倍よりももっと多くの情報へのアクセスができるようになっている感覚ですから、実際にはもっと多くのことをたった1年間で入手していることになるかと思います。

これはすごいことです。

そうであるならば、1年に1度の振り返りでは圧倒的に振り返りの量が足りない、ということになります。(ということを今になって私も実感しました。)確かに年末に振り返りをしても、正直抜け漏れてしまっている経験や体験がたくさんあることを実感しました。

情報の流通量は増えても、体験量は変わらない

しかし、忘れてはならないのは、今「情報」だけについてフォーカスして論を書いているということです。

私たちは時間と共に、「情報を入手する」すなわちそれが脳への記憶や知識に繋がりますが、それは体験とは必ずしも繋がらない、という点です。そして、体験は私たちの生身の身体的感覚を必須とするものであるので、自分次第でしかないということになります。

どういうことかというと、どれだけ頭でっかちでいろんな物事を知っていたとしても、実際にやってみると全く違った結果をもたらすということです。

最近私は筋トレにハマっています。YouTubeを見て、ありとあらゆるトレーニング方法や栄養の取り方についての知識を得ていますが、それを自分の身体に体験させるとなると、自分に合うトレーニング、合わないトレーニングがあります。食事も同様です。

つまり、最終的な答え合わせは、「自分の身体感覚」でしかできない、ということです。

そしてその身体感覚は1秒を1秒としかカウントができません。情報であれば、もっと合理的な、もっと効率的な方法で1秒を0.5秒、0.1秒にだってできることがありますが、身体感覚の場合は、一歩一歩確実に体験しなければ答え合わせができないのです。

なので、ここで言いたいのは、「情報における時間感覚」と「身体的体験における時間感覚」は分けて考えなければいけないのではないか、ということです。

適切な振り返りの周期

さて、ここまで振り返りの周期について考えてきましたが、次に適切な振り返りの周期について考えてみたいと思います。もちろん振り返りの程度によります。ライトなものであれば、やはり毎日やるのが良いでしょう。

最近はジャーナリングというマインドフルネスの手法の一つでもある書く行為も注目されています。

振り返りをするといっても何を振り返るのかによって周期は異なってくると思うので、ここでは1時間以上かけて丁寧に振り返る時間を確保する機会に限定し、かつ「情報や知識の振り返り」「体験の振り返り」の2つに分けて考えたいと思います。

まず「情報や知識の振り返り」ですが、先ほど述べたように私たちはここ数十年で、当時よりも容易に適切な情報へアクセスできるようになっています。少なくとも12時間かけて仕入れようとしていた情報を平均しても2-3時間程度で入手できていると実感しています。つまり4-6倍の差があります。よって、最低でも3ヶ月に一回は「何を学んだのか」「どんな情報を仕入れたのか」を丁寧に振り返る必要はあると考えます。

次に「体験の振り返り」ですが、これは移動のしやすさやリモート環境の発達によって体験のスピードは部分的には上がっていると想像します。20年前と比較して、だいぶ乱暴な見積もりではありますが2倍程度体験速度が上がったとするならば、半年に1度は体験の振り返りをするといいかもしれません。ただ体験の場合はどんだけ頑張ってもそれくらいでしょう。

もちろん感情面やクイックで今日学んだこと、考えたことなどは日記程度に記すと良いかもしれませんが、1-2時間しっかりと時間をとり、振り返りをすることは必要だと思いますし、時間のスピード感の変遷とともに振り返りをする周期の見直しも必要なのではないでしょうか。

みなさんはどれくらいの頻度で振り返りますか?


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