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日本文化と言語教育|世界の日本語教師たち Vol.8(前編)|マユコさん

このedukadoページでは「世界の日本語教師たち」というテーマで、毎週世界を股にかけて日本語を教える先生たちの現場のリアルな声を取材した記事を配信したいと思います。

第8回では、“日本文化と言語教育”と題してお届けします。

今回の日本語教師:マユコ さん

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中学卒業後、父の仕事の関係でイギリスへ留学。大学・大学院では英語学・異文化コミュニケーションについて学ぶ。大学院在学中に日本語教師になるための資格を取り、台湾で子ども向けの日本語教育をしている会社にに就職。中国の大学で4年間日本語教師を勤めたのち、静岡の大学で留学生を対象した日本語の授業を行う。

インタビュアー:Jun
埼玉県在住のフラガール。国際観光専攻。趣味は海外ドラマとJ-popアイドル観賞。観光学を通じて世界を学ぶうちに、日本文化について深く知りたいと思いedukadoへインターンシップとして参画。現在はPRを担当。多くの日本語教師へ取材する傍ら、日本語教育を取り巻く環境を改善すべく活動中。

きっかけは自分が留学生となったこと

—学生時代に支えてくれた先生の存在

高校1年生の時に父の仕事の関係でイギリスに留学しました。中学校3年間で英語の授業はありましたが、そこまで英語が得意な訳でもなく、そのまま現地の学校に入りとても苦労しました。私の通った現地の学校には、外国から来た生徒をフォローしてくれる先生がいました。学校にはいろいろな国から来た生徒がいるので、授業についていけない子の面倒を見てくれる役割を担っていました。留学生の私にとってすごく有難い存在で、心の支えになってくれたので、自分もそういった仕事ができればいいなと思ったのが最初のきっかけです。

—色んな国をつなげる役割になりたい

また、大学院に進んだ時に再度イギリスに留学しました。その時に中国人の学生と友達になり、中国にいた時に「日本人はすごい怖いものだと思っていた。友達になれないと思っていた。」と言われたことがありました。仲良くなってからそのイメージがなくなったようで、実際に会って交流することで、そう言った先入観をなくす事ができると実感しました。日本語教員であれば、色んな国を繋げる役割を果たせるかもしれないという思いもあり、志すようになりました。

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大学では英語を勉強していましたが、学んでいるうちにコミュニケーションやボディランゲージに興味を持つようになり、大学院では異文化間のコミュニケーションについて扱う研究室に入りました。その後、先ほどお話ししたように、留学し、“やはり日本語教員になりたい"と思い、夜間に日本語教師になるための養成講座に通い勉強をしていました。

—目指すことを決めた時に大学院に行くことを決意

大学に入る前に、なんとなく日本語教師になることに興味を持っていたので、“日本語教師になるには”と調べました。その時、あまり条件が良くないというのを目にしました。また、日本語教師として海外で働いたり、日本の大学などで安定して働くには大学院までいかなければならない、ということが分かりました。まだ日本語教員になるとはっきり決めたわけではありませんでしたが、大学に入学する時点で「大学院まで通おう」と何となく考えていました。先生から「日本語教師の仕事だけで生計を立てるのはかなり難しい」と厳しい現実を教えられることもありました。

—仕事に就くにも厳しい現実が

しかし、日本語教師になるための試験を受け、資格を得た後でも、実際にフルタイムで働くには経験が足りず、日本で就職するには難しい現状がありました。一方で、海外では初心者でも受け入れているところが多かったので、台湾にいくことにしました。その後、中国に行くことになりますが、どちらにしても、現地採用なので、現地の物価で給与が支払われます。日本に比べて給与は安いので、日本に帰ってくる飛行機の代金すら払えない時もありました。年金が払える状況でもなく、老後が心配になったというのも帰国した理由の一つです。

そのタイミングで、現在の大学が日本語リテラシーセンターに常駐してくれる先生を探しているということだったので、そこで留学生の相談を受けるという仕事に就きました。

初めての生徒は子どもたち

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—教師スタートは台湾に

日本語教育の勉強をしている最中に、ボランティアとして1対1で教えたことはありましたが、正式に仕事として初めて教えたのは台湾の子ども向けの日本語教育でした。実はたまたま内定をいただいたところが子ども向けだったというだけで、子ども向けが良かったというわけではないんです(笑)

—先生同士の交流も盛んであった

その会社には大勢日本人の先生がいたので、月に一回集まって研修をし、教え方について勉強したり同じような悩みを抱えている者同士で話をしたりととてもいい経験になりました。このとき学んだ事が、その後の大学の授業でも活きているなと感じています。

—テーマをもとに授業を行う

勤めていた会社は、台湾各地に幼稚園を持っていて、バイリンガル教育を熱心に行なっているところでした。幼稚園では普段は英語と中国語を使っているのですが、日本語も勉強したいという事で、私は何曜日にはここ、というように週に1回ずつ違う幼稚園に行き、教えていました。同じように、20人弱の日本語の先生が在籍し、あちこちの幼稚園に行って教えていました。毎月教えるテーマが決まっていて、それに基づいて授業案を考えていました。“色”がテーマだとすると、色違いの花の絵を使って教えようかな、それとも着せ替え人形みたいなものを使って教えようか、など、どんな小道具を使おうか考えて、手作りで道具を作って、教えていました。手作り道具以外にも、いざというときに何でも作れるよう、リュックサックには画用紙や文房具、磁石、パペットなどを常に入れていて、何があっても対応できるようにしていました。

—同じ目線で日本語を楽しむ

台湾の幼稚園では、週に1回30分だけ、または1時間だけの授業だったので、子どもたちがペラペラ話せるようになる事が目的ではなく、「あか」「あお」が言えるようになる、「あるく」「はしる」が分かるような授業をしていました。日本で言う小さい頃の英語教育と同じような感覚です。

子どもたちはすごく楽しんでくれていました。記憶力がいいので、すぐ覚えてくれるんです!次の週に行くと駆け寄ってきてくれて可愛いかったです。TVなどポップカルチャーの影響か、日本に対して好意的なイメージがあるようでした。コマーシャルで時々日本語が使われていることもあり、「分かる!」と言う感覚が子どもたちにもあったみたいです。

—動きのある授業を

子どもはすぐに飽きてしまうし、言葉も通じないので、目で見て分かる物を使ったり、動作しながら言葉を教えていました。一緒に動きながら、またはゲームのような要素を入れて、など、なるべく子どもたちを「動かす」ことを考えていました。ただ、一気に全員が動き出すとコントロールできなくなるので、メリハリをつけるのに注意しながら教えていました。何かを紹介する時には、教える方も“初めて見た!”と言うようなリアクションをすると、子どもたちもノリノリで応えてくれ、面白かったです。

記者から一言

言語を学ぶ時、大人への教育と子どもへの教育では、指導方法も大きく変わることがほとんどです。教科書を使い文法や読み書きを学ぶことと、絵や動きから単語を学ぶことでは教員の授業案も異なります。一つのやり方に固執するだけではなく、多岐にわたる指導方法を身につけることができれば、授業内容や教える対象がより広がるのではないかと感じました。

次週は後編をお届けします。
現在、マユコさんが勤務されている大学での日本語教育についてお話を伺いました。
お楽しみに!

インタビュー・文:Jun Sakashima


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