みずあめの生い立ち〜高校生編①〜

こんばんは、みずあめです。

休校措置が解除され、やっと新学期が始まりそうです。

授業数の確保とか、試験の問題とか、内容の消化など、課題がいっぱいですが、変化に対応できる生物が生き残るのが歴史の常なので、対応するしかないでしょう。

今回は、高校生編①を記します。主に高校時代の部活動について書きます。

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高校選びは、中学時代の経験から、大学に行かないといけないと考えて、進学校を目指しました。

私立に行くのは親に申し訳ない気持ちがあったので、公立の進学校を受験して、合格しました。

自転車で50分くらいかかりましたが、中学時代の人間関係もリセットする意味でもよかったかもしれません。


めちゃくちゃ野球がやりたいというわけではなかったのですが、とりあえずやってみようかなというくらいで野球部に入ろうとしました。

たしか入学式の次の日に、渡り廊下に集められ、先輩から電話番号と名前を聞かれたことを記憶してます。

これが地獄の始まりでした…


数日後の夜、

「明日五厘にして6時に学校来い」

その通り行ったら、グラウンドに整列させられ、先輩からやんややんや言われました。


そう、実は昔からの伝統校で、未だに一年中学ランを来た応援団が残っているバンカラな校風の学校でした。そのことを知らずに入学した自分は、怖くて「辞める」も言い出せませんでした。

その日から、早い時は朝5時に学校に行き、グラウンド整備や道具管理、10分休みに弁当を駆け込み、昼休みも作業、夕方練もプレッシャーを受けながら先輩の補助を続ける日々が続きました。


公立高校なのに、平日は夜9時過ぎまで練習してたので、そこから帰ってご飯を食べたらすぐに朝を迎える、という生活でした。

夜10時過ぎに帰ってきて、「明日4時半に家出るからそれまでに弁当作って」という訳がわからないことを、毎日母親に言うようなことをしてました。今考えても親不孝者…


土日も毎週練習試合で、朝5時に家を出て、夜8時くらいに帰宅するという生活でした。


野球も、もともと中学の野球部でレギュラー落ちするくらいなので実力もありませんでした。同学年も、強豪私立の誘いを蹴って入学してきた、実力のある選手だらけでした。間違いなく、チーム一下手だった部員だったと思います。


また、いろんなことが重なり、ボールを投げるときにうまく腕を動かせない、「イップス」という症状に悩まされました。


実力がない、簡単にできていたボールを投げることすらままならない状態。本当に地獄でした。


ただ、なんとか耐え忍んで、自分たちの代になったときに、選手としてグラウンドに立つだけではなく、いろんなサポートをしながら、スタメンの選手とコミュニケーションを取れるように努力しました。


それを評価していただいたのか、はたまた年功序列通りにしていただいたのかはわかりませんが、背番号も毎回いただくことができました。強豪校と比べたらダントツで人数は少なかったのですが、そのときいただいた背番号は、自分の中の誇りです。



チームとしては最後の夏の大会で、県優勝し、甲子園でも1勝することになりました。
(いずれ機会があれば、このときの雰囲気とかも書き記せられたらなあと思っています)

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高校野球を通して学んだこと。

1、何があっても、「あの時と比べたら…」と思えるようになったこと

2、監督に出会えたこと

1について。

もう一回高校野球をやれ、と言われても、一千万円積まれても戻りたくはないです。でも、やってよかったとは思ってます。
睡眠を削り、勉強時間を削り、遊ぶ時間も削り、野球が楽しくない時期の方が長かったですが、高校より先では、常に「あの時と比べたら、今はまだ大丈夫」という考えになりました。

2について。

高校野球の監督さんは、いろんなタイプがあると思います。テレビなどで特集される監督さんは、ビシッと指示を出したりするタイプが多いと思います。

しかし、自分の時の監督は、ほとんど選手に口出しをすることはありませんでした。
サインはバントとヒットエンドランの2つだけ。
練習内容も月一くらいで指示するだけ。
大きな声で怒るのも2ヶ月に1度くらい。

常に言うことは一つだけでした。

「自分に必要なことを自分で判断して、徹底してやれ」

公立校で、すべての能力をみんなが身につけるのではなく、一人一つだけでいいから、それだけは徹底して能力を伸ばすという教えでした。

それが噛み合ったおかげで、公立校でも甲子園出場ができたのではないかと思っています。

監督は、全体指導ではなく個別指導の時間がめちゃくちゃ長かったです。試合に出る実力のない自分にも、熱心にアドバイスしていただきました。

この点は、今の部活動指導でも活きている部分があります。

全員がなんでもできればいいのですが、公立中学の野球部はいろんな人がいます。中には中学から野球を始めた生徒もいます。
(なかなか難しいですが)あまり野球の能力に自信がない生徒は、顧問から声をかけてもらうことで自信につながります。というか、自分がそうされるとすごく嬉しかった記憶があります。

だからこそ、自分がそうなりたいということを自分の中に留めるようにしています。


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今回は、経験と教育観が入り乱れる、多少読みづらいものだったと思います。すみません…


ちなみに、「やってよかった」とは思いますが、「だから部活はやるべきだ」とか、「部活動が大好き」とか、「学校から部活をなくしてはいけない!」とか、そんな意見は持ってないです。部活もメリットデメリットがあって、「部活を全てなくしてしまえ」でも、「部活をなくすな」とも思ってません。

部活論については、また改めて書こうかなと思います。



いろいろありますけど、野球だけ特別扱いだとか思われそうですけど、なんとか夏の甲子園は行われないかなと思っている高校野球ファンの気持ちを記して、今回は締めようと思います。


次は、高校時代の勉強編の予定です。

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