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【読書感想文】たった1つの本当の自分という幻想


分人主義


 日本語の個人は、英語「individual」の翻訳である。divide(分ける)に由来するdividualに否定のinがついているので、直訳的には(これ以上分けられないもの)という意味になる。個人はこれ以上分けることはできない、人格もその人本来もつ「本当の自分」がいると考えられている。
 友達といる時の自分、会社にいる時の自分、恋人といる時の自分、当たり前だが全て違う。どれかが「本当の自分」だとすると、それ以外の自分は本当の自分ではない、仮面を被っているかりそめの自分ということになる。しかし本当にそうか?どれもが「本当の自分」ではないか?のこの問いに対し、著者は個人をさらに小さく分ける分人という考えをもっている。
 関係性の数だけ分人がある。それは、対人関係やある集団での関係だけでなく、ネットだけの顔を合わせない関係や、読書や絵画などを通した芸術や自然との関係においても、分人たりうる。
 個人を更に小さく分けた分人という考え方を用いることで、今までの見え方、考え方は変わってくる。

変化を前向きに捉える

 【だから、あなたも生き抜いて】という本を描いた大平光代さんという方がいる。中学時代にいじめを受け、非行に走り、16歳で暴力団の組長と結婚したが、離婚し、ホステスに転身。父親の友人の勧めで更生を誓い、猛勉強の末に弁護士になったという方である。個人主義による本当の自分というモデルで考えると、(本当は弁護士になるような人間ではないのに…)という話になってしまう。分人主義で考えるならば、その時々の大平さんの中の分人の構成比率が変わった、ということだ。その時々ですべて本当の自分であるが、父親の友人との分人の比率が自分の中で大きくなったことにより、変化し、弁護士までなった。
 分人主義を通して、変化を前向きに捉えることができる。

悩んでいる自分は何か

 学校でいじめにあっている人は、ひどく傷づき、悩む。このモデルを分人主義で考えてみる。学生時代は、関わるコミュニティが、家族か学校くらいしかない場合が多い。必然的に学校向けの分人や、学校の友達向けの分人の構成比率が大きくなっている。いじめにあうということは、その自分の多くを占める分人が苦しんでいる状態だ。
 ただそれはあくまでも、いじめている相手との関係における分人の悩みであり、本質的にいじめられる人間であると規定してはならない。
 家族との関係が良好であるならば、その家族との分人を中心として生きればよい。学校以外の新しいコミュニティに所属し、そこ向けの分人ができることで、学校向けの分人の構成比率が下がることでも、生きやすくなるかもしれない。それはネット上での関係でも良いかもしれない。
 いじめを苦に自殺するということは、いじめた相手との分人の苦しみのために、自分自身が抱えるすべての分人を殺すことである。いじめるようなやつとの分人を自分の中でどう小さくできるのか、と考えると、様々な手段が見えてくる。

自分を好きになるとは

 自分を好きになろう、自己肯定感を上げよう、とよく言われる。分人主義で考えると、自分を好きになるときに、自分だけを見ていてはいけない。すべての半分はだれかのお陰(もしくは誰かのせい)なのである。
 Aと一緒にいる時の自分は好き、サッカーをしている時の自分は好き、Bという作家の本を読んでいる時の自分は好き。好きという感情は、常に他者やコミュニティの存在を通していて、だからこそ、その関係を大切にしたいし、相手の存在を尊重したいと思う。

生きる

 この本を読み、気持ちがすごく安らいでいく様を感じた。自分や他者を本質規定すると、そこからの齟齬に苛立ち、不要ないざこざを生んでしまう。自分の中にも、他者の中にも、様々な分人を抱えていると考えることで、とても生きやすくなる。
 


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