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親子国内留学ー最後の1週間での気づきー

2022年4月から始まった親子での国内留学も、残り1週間となった。今の心境を忘れないように綴っておきたい。

旅立ちが近づくにつれ、身辺整理が目に見えて忙しくなった。
それはまるで、別れの寂しさに気づかせないようにさせるかのように。

カレンダーでカウントダウンを始めても、子どとあと何日だねと話しても全く実感の湧かなかったこの気持ちは、地域の皆さんが催してくれた送別会をきっかけにもう止まらなくなった。

別れを惜しんで、私たちのために泣いてくれる人がここにはいる。こんなにも深くつながりあえた事が嬉しくて、愛と優しさと笑顔に溢れた、温かくて安心できるこの場所を失うことが悲しくて。

それは地域的な場所ではなくて、ここにいる全ての人が網の目のようにつながって作っている社会的な場所であって、お金では決して買うことのできない、再現することはできない、唯一無二で、一期一会に満ちた場所だったのだと最後にすごく腑におちるように感じられた。

ばあちゃんの作ってくれたおやつも、採れたてを食べきれない位もってきてくれた野菜も、昔話も、土地に根付いたやさい作りの秘訣も暮らしの知恵も、全部どんなに望んでも買って手に入れる事はもうできない。いくら検索したってそのレシピは出てこない。

都会のように、なんでもいつでも手に入って、誰がつくったかもわからなくて、何の感謝もなく消費していたあの頃の私は、毎日どんな気持ちで生きていたんだろう。

今泣きながら、「感謝しかない」とその気持ちしか浮かんでこない私は、1年前の自分とは何かが違う。うまく言葉にできないけど何かが分かって、何かが変わったことは間違いない。

小さい田舎のコミュニティで、赤子の誕生を喜び成長を見守り、親しい人達を見送り、進学も就職も結婚も出産も離婚も病気も介護も・・・人間の一生のぜんぶが全部を何世代もかけて共に味わい歩んできた人たちのネットワークやスキルや情報は、世界を牛耳っているようにみえるグーグルやAIも及びがよらない、圧倒的で確固な人間の生き様と積み重ねてきた時間の結晶であり、そこにただただひれ伏すように感動を覚えている私がいる。

都会で育ち、都会で仕事して子育てしていた私には、その存在すら完全に見えていなかった生き方が、ここにはあった。

それは単純な二泊三日の旅行では決して見えてこないもので、且つ、私が子育てする親という立場だったから、受け入れてもらえ、見せてもらえた暮らしなのだと思う。

子育てすることで自分が成長するとは言うけれど、それはしつけとか教育とかそんな薄っぺらいものではなくて、子どもが広げてくれる私の世界なんだ。私が1人で経験できることには限りがある。母になって10年近く。この子が生まれてきてくれて、私とともに歩んでくれているから繋がったご縁や、経験や笑いや感動の数々。宝物のようなキラキラした時間。

まだきっとそれは訪れる。新しい場所で、新しい形で。そう信じている。この子のそばで母であれる時間を慈しみ楽しもう。

長いようで短くもあった1年の親子留学。本当に本当に来てよかった。グローバル?早期教育?受験?そんな資本主義の価値観になんの疑いもなく突き進む前に、目に見えないけど確かに存在する人間本来の価値を、親子で学ぶことができた幸運に心から感謝している。

私たちの冒険はまだまだ続く!!


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