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体罰(未熟な指導力を補う暴力)

こんにちは!

¡Hola!皆さんのハッピーな1日を願います!
今回は少し暗い話ですが「体罰」についてです。
なぜ今回「体罰」についてかというと、教育関係の青年海外協力隊のInstagramやnoteなどで体罰という文字を見ることが多くなったからです。

体罰とは

そもそも体罰とは注意や懲戒の目的で私的に行われる身体への暴力行為(受ける側に落ち度があるとのニュアンスの「罰」の使用を避け、主にスポーツの場面で暴力的指導とも呼ばれる)のことです。つまり、体罰=暴力です。

体罰はすぐに無くならない!?

体罰はすぐには無くならないと考えています。
理由は2つあります。

1つ目は体罰を行う教師(暴力を行う大人)がそのように教育を受けてきているからです。子供は親の鏡と言いますが、教師と生徒であってもそうなのです。
1年生の生徒が私の口癖を真似してきた時は可愛くて仕方なかったです。😆

2つ目は未熟な指導力を補いたいからです。
いい例えが思いつかないのでLv.(レベル)という言葉を使います。
例えば、100Lv.まで育てたいのに育てる側が60Lv.までしか育てられない指導力だったとします。足りない40Lv.分の指導力をどうするかとしたときに出てくるのが体罰(暴力)です。なぜなら、60Lv.で育てる側の指導力が限界でもう使える技術が体罰以外残っていないからです。このときに「私は100Lv.まで育ててあげたいんだよ!!」など言う独りよがりの自称熱血指導者が誕生するのだと思います。

体罰を無くしたいのならば

体罰を無くすためにできることはあるはずです。
思いつくこととしては、育てたい子ども達に過度に期待しないことです。
先ほどのLv.で例えるならば育てるのは60Lv.まででいいと思うんですよ。
これについては、子どもによって個別に設定することがベストだと思います。
それなら60Lv.までの指導者も体罰を使わなくてもいいはずです。
あとは近くにいる素晴らしい親や先生(大人たち)が手本を見せてあげればそれを見て育つと思うんです。やはり子どもは親の鏡であり、そんな素晴らしい力を持っているのです。その鏡を体罰によって割ったり汚したりするのはもったいないとは思いませんか。
期待はしたいですし実際しますよ。すごく分かります。しかし、それは誰のためですか。

体罰を無くしていくのは子どもたち

結論として体罰を無くしていくのは、これから大人になっていく子どもたちです。
具体的には「体罰によって教育されなかった子どもたち」です。
体罰によって教育された今の大人たちが体罰を続けるのならば体罰は永遠に続いてしまいます。

そのために私たちにできることは「子どもたちを体罰から遠ざけること」「素晴らしい大人の見本を見せること」の2つだと思います。
子どもたちを体罰から遠ざけるために先輩や目上の人と関係が悪くなることもあるでしょう。もし難しかったら、体罰をしないでもしっかり教えてくれる大人もいるんだぞ。という姿を見せるだけでも十分ですよね。素晴らしい大人の見本になるために大変な苦労をするでしょう。しかし、子ども達のためなら安いもんじゃないでしょうか。そのために戦っている先生や隊員、全ての人たちを尊敬します。

最後に

私は体罰は大嫌いです。実際に3年間教員をしていて何度も体罰の現場に遭遇しました。その度に大先輩?であろう教員と口論になりました。
何度もあったということはその教員は何も変わらなかったということです。
とても残念です。教室を抜け出して私の教室に逃げてくる子供たちがかわいそうで仕方がありませんでした。学校は誰にとっても楽しい場所であってほしいです。
そもそも子どもから学ぶことって楽しくて好きなんです。
子どもたちと一緒に「頭」も「心」もいい大人になれたらいいですね。

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