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東京に住む龍 第六話 日曜日なので地獄に行ってみた⑤

 野守の家は、周囲の家と変わらない土塀の中にあった。重い鉄扉を術で軽々と開けると、季節の花々が咲き乱れた庭の中に、趣味の良い数奇屋造りの母屋から、高欄の付いた回廊が伸びている。その先には子供部屋だろうか離れが連なり、ぐるっと回って、庭の中央の母屋の向かい側に、幽世で云う、「客殿」まで続いていた。

 野守が声を掛けると玄関に胡蝶さんが出てきて、三つ指をついて挨拶する。旅館の女将というより、戦前の華族のお姫様が立ち現れたように小手毬には見えた。

「あらー、良くいらして下さいました。

青龍様と小手毬様が、お見えになるなんて、望外の喜びですわ」

 と挨拶をした。奥から家にいた次男三男を呼んで来て挨拶をさせた。天国のホテルで会って以来だ。三男は丸の内にいたあの青年鬼だった。坊主頭に一本角の次男は医大生だ。二人共普段着なのか、木綿の着物を着ていた、弟が大胆な刀剣柄の浴衣のような着物で、兄は無頓着なのか茶系の渋い絣の着物をぐしょぐしょに着ていたが、落ち着いて頭が良さそうに見えた。

 休日の昼食は外に出ている家族が戻って来て食事を共にすることもあるので、二人増えても大丈夫なのだそう。野守が揚げ物を、胡蝶が煮物や和物、朝の残りの汁物を出すのだと言って玄関の傍の厨房に入った。

 辰麿はきょとんとして、幅の広い縁側に突っ立って庭を眺めている。小手毬はお邪魔して不味いなと思ったので、三男の曼珠沙華君と奥の間で大きな座卓のセッティングを手伝った。現世日本の数奇屋造りに家屋はなっていた。三間続きの座敷で、奥の間は十畳、立派な床の間に付書院には丸窓が付いている。障子は開け放たれて庭が良く見えていた。

 奥の間には日本刺繍の刺繍台があって、緑の布に舞楽の胡蝶の刺繍がしてあった。これを次の間に移動して、座卓を部屋の中央に置く、押し入れだと思った庭と反対側の襖を開けると広い納戸で着物の箪笥や道具類、家電に子供の玩具まで棚に整理して置かれていた。そこから座布団と脇息を人数分取り出しておく。

 曼珠沙華君の話では、胡蝶さんの刺繍は職人になろうとして子供の頃から修行していたので、縫うのが綺麗で速いのだそう、あの世では雅楽が盛んで、天国に住んでいるお孫さんが、今度町内会の演奏会で舞うので、胡蝶と迦陵頻伽の装束を刺繍しているのだそう。小手毬はしげしげと刺繍を眺めた。プロの技というのか緻密な刺繍だった。現世の胡蝶の衣装をまじまじと見たことは無かったが、デザインの違いが無いように思えた。

 地獄には日の光が届かない上に突発的に雨が降る不安定な天気だということを、野守の持って来た教科書で知っていた。鬼火を調節して夜と昼を地上に合わせて、明るさを出しているとも書かれていたが、薄曇りの空でいつ雨が降るとも分からぬため、軒先が深く座敷との間の縁側の幅も広い。縁側から、母屋から離れ、庭の真ん中の客殿へと続く屋根付月の渡り廊下に、家族の着物が干されていた。一週間分なのだろうか、何十枚も着物、よく見たら襦袢や下着も干されている。野守さんはテレビで見てもいつも黒い着物なので、黒い着物が何枚もある。お嬢さんのだろうか華やかな着物が干されていた。女性が働いていると一週間分一挙に洗濯するのだろうか。生活感満載だった。

 現世の日本家屋と似ているような、違うような作りに小手毬は、驚いたり面白がったりした。ふと離れの一番遠い部屋の引き戸が開けられて中の洗濯機が見えた。龍御殿にもある地獄製の全自洗濯機で、綿・麻着物モード、化学繊維着物モード、自己責任絹着物モードが搭載された、洗濯機で。現世の物を極力使うようにしている幽世で、着物生活に便利なので龍御殿でも使っていた。眷属の家でも重宝されている、優れものの洗濯機だった。洗濯ものの掛かった渡り廊下を見ると、鬼灯君が乾いている着物を選んで取り込んでいた。斬新なデザインの着物は化繊の物だろうか。見るからに絹物の着物や帯も取り込んで、三の間に運んだ。絹物のだけは衣桁に掛けたが、髑髏柄の着物や墨色の線で描かれた花柄の男物着物の見るからに化繊は畳の上に置きっ放なしにされていた。

 台所の野守さんが声を掛けたのを合図に、座卓に料理を運んで食事となった。御飯の盛られたお茶碗に味噌汁の椀、おかずは大皿に盛られている。それが和食器で、センスが少し違うくらいで現世日本の和食器と同じ磁器陶器だ。その所為か上に盛られた食事も、地上の家庭料理に見えた。

 天ぷらも煮物も小松菜のお浸しもある、小手毬がガッツいたのは、鶏の唐揚げだった。取り皿に取って早速箸をつける。軍鶏みたいに筋肉硬めで大きな鶏唐だ。

「お嬢さん、そのお肉は、脳吸い鶏なんですよ。刑場で亡者の脳を食べる鶏で、鬼の大好物です。地獄では脳吸い鶏の唐揚げはいつ時代も人気です」

 野守からこの話を聞いても手が止まらなかった。人参と何かの摺り物の煮付けは、現世のと醤油が違うのか、風味が違っているこれも美味しい。

「それは地獄煮というのです。まあ天国でも広く食べられていますわ。醤油とお砂糖お酒を調味料にしておだしで煮るのだけれど、現世と同じに作ってるものなのに、お醤油のせいなのかしら風味が違うのよ、人参と合わせているのは川海老のすり身なの」

 天ぷらもカリっとして御飯がすすむ。揚げ物は野守さん、地獄煮と副菜は胡蝶さん作ったものだそう。ごく普通の普段の食卓だ。

 辰麿と小手毬は床の間を背にして上座で、小手毬の前に胡蝶さん、横には曼珠沙華君がいる、辰麿の前に野守がいて横には鬼灯君が座った。

 三人三人で話すことになった。辰麿の方は野守さんにきつい質問をされたり、答弁が理論破滅しているのを突っ込まれたり攻められたりして、「ふぁー」とか言ってのらりくらりしている。小手毬の側では胡蝶さんの妊娠出産話だった。なにせ四人の子の母である上に、夫はあの世の産科医学の創始者の大先生だった鬼神だ。 

「知っています。鬼の赤ちゃんは、歯が生えて生まれてきますのよ。人間の赤ちゃんは十ケ月だそうですけど、鬼の赤ちゃんは妊娠十二ケ月で生まれてきます。  

 妊娠の最後の二ヶ月は、食べた物は全部お腹の赤ちゃんに取られる感じ、もう寝たきりになってしまうの、生まれたら生まれたで、もう歯が生えているし母乳も沢山飲むので、栄養を赤ちゃんに取られてそれも起き上がれないの。だから男の鬼は家事が上手、食事の支度もするし掃除洗濯もする。

 現世では家事をしない夫が問題になっているようだけど、あの世では十八歳までの義務教育で男女共に調理や裁縫など家事は仕込まれるので、家事ができる男性が普通だわ」

ワンオペ育児で夫の家事育児への消極的な有様が、今現在日本の少子化の原因でもあるのに、地獄は進んでるなと、小手毬は感心したのだった。

辰麿が胡蝶さんに聞いてきた。

「今日は鬼百合さんどうしたのですか、うちの小手毬に逢わせたかったのに」

 辰麿が野守さんのお嬢さんに逢わせたい、きっといいお友達になるからと、ずーと話している。そう云えばこの家に若い女性は居ないようだった。 

「鬼百合は病気療養で温泉に行っているの。今度紹介しますわ」

 胡蝶さんは答えて、このことはこれ切りになった。 

 食事の後曼珠沙華君に庭を案内された。三の間の洗濯物を、鬼灯君が立ってざっくり袖合わせに夜具畳に畳んで家族分に分けて置く、衣桁の絹物を丁寧に現世日本と同じように着物を畳むと納戸に持って行くのが見えた。庭は胡蝶さんの趣味で草花が多く植えられていた。庭木もあり、松や楓、椿など日本庭園にある木も所々に植えられていた。気温は現世より暑いくらいで湿気ている。庭には季節柄椿や梅、水仙がいち早く咲いていた。そうこうしていると鬼灯君は縁側と渡り廊下に残っていた、麻や木綿の着物を取り込み出す。

「客殿って現世の古いお寺にもありますが、造りが全然違うのですけれど、何でですか」

 この庭にある客殿も、龍御殿の客殿も、外にある能舞台の四方の壁を外した造りで、中で接待する客の姿が丸見えなのだ。

「うちのはね、五百年位経っているのかな、あれは便利何だ、母屋が散らかっている時は客殿に案内するし、今日みたいに洗濯物を干すときには大活躍。地獄の生活には欠かせないかな。勿論天国にもあるんです。

 元々は高天の原の政治家の家にあって、高床式なのは曲者が入り込まぬように、母屋から監視出来て、それでいて客殿で話していることは聞こえない。よく考えたものだと思う。

 政治家の他に学者や文化人の家にもあって、人を集めて学習会を客殿で開いていたんだ。親父が大学を作る前は。ここで医学・薬学の講義をして多くの弟子を育てたんだって。

 最近は客殿より座敷の方に通すのが、フレンドリー何だよ」

 さすが地獄の長官のお屋敷は敷地も広くて建物も多いと思ったら、別の家だった。高い土塀の内側の各家との境は背の低い生垣だったり、洒落た飾りのある鉄柵で向こう側が透けている。ワンブロックを高い土塀で囲み、中の家々の境の塀は行き来が出来る位の低い塀にする。小手毬は鬼たちの防犯意識が高いのかそうでないのか、分らなくなってしまった。

 辰麿が最上位の龍だからって、直接目的地に舞い降りるのは、野守さん的には、あの世の法律違反なのだそう。役所の前の通りを行くと、鉄道の閻魔庁駅があり、その傍に牛頭門という天国とが現世に行ける門があって、こちらから帰って貰いたいそうだ。

 牛頭門まで、胡蝶さんと鬼灯君に送ってもらうことになった。

 胡蝶さんは買い物に、鬼灯君が大学の実習で白衣を着るのをいいことに、最近いい加減な着物を着ているので、通学用のを見繕って来るのだそうだ。胡蝶さんは何とあの棘々の付いた鬼の金棒を手に持っていた。何で武器を携帯するかは、大通りに出て分かった。

 先程執務室で見た電光掲示板が、商店街のあちらこちらに設置されていた。「現在亡者の脱走はありません」「全地獄外出可能です」「静謐なり」今のところ安全のような文言が映し出されていた。

「あれは何なの」

 青龍に聞くと、鬼灯君が答えた。

「ほとほとあんた達人間には困らせられる。死んで地獄に来てからも悪さするんだ。脱獄する奴が時々いるんでその警戒のため、家の塀が高いのも、武器を携帯しているのもその所為。

 三ヶ月前にも叫喚地獄から脱走した奴がいて、近くの玉蜀黍畑に潜んでいたのを、天狗の検非違使が捕縛して事無きを得たんだ。近くには女性家族だけの農家さんがあって、危機一髪だったんだよ。過去には痛ましいこともあって、我々、特に女性は外出時武器を携帯しているんだ」

 高校生くらいの鬼の女の子とすれ違う。小紋の小振袖に紅色の袴を穿いて、大正時代の女学生と同じ着姿なのに、袴にラインストーンでデコレーションされた脇差を差していた。ぱっと歩いている人を見ると、お洒落着には刀かピストルを装飾したのを帯に差したり、胸元にそれ見よがしに入れている。普段着の人は金棒を担いだり手に持ったりしている。

「ここ閻魔区は地獄の首都、一番大きくて華やかだけれど、十王庁で一番重要な閻魔大王の裁判所があるの。場所は地獄省の並びの建物で、町の真んに中に多数の亡者来る場所があります。そういった意味でも危険な町なの。

 法律で決まっているのですよ。決めたのはもう数千年も前に、うちのお父さんが決めたの。武器を携帯するときは、分かるように持つこと。威嚇のために持っているようなものだもの。

 鬼の男は刑場で拷問をする上に、人間より体格腕力共に優れているので、武器を持ち歩かないけれど、鬼の女性や妖怪でも元人間の妖怪や私みたいに天人は男女共に持っているわ。女性で持ってないのは獣の妖怪と飛べる妖怪かしら」

 言われてみると、屈強な男の鬼が手ぶらで歩いている。女性でも帯に刀も差してなければピストルを衿に挟んで無い者もいる。彼女らは狐や狼が化けた獣の妖怪だった。辰麿と結婚させられて短期間で妖怪の本性を見ぬく能力が、小手毬に付いてしまった。人の成りをしていても何の妖怪だか既に分かるように成ってっていた

「胡蝶さん、それは鬼の金棒ですか」

「そう金棒です。現世でもとっても有名ね。女性や素人が無茶苦茶振り回しても倒せるので、便利なのよ。棒の先に棘々の付いた玉があるのもいいわ。近所に買い物に行ったり大学に行くときは担いでいくわよ」

 ここは銃規制のないアメリカかと小手毬は思った。道行く鬼率の高い妖怪たちに幕末辺りの和装が多いので、尊王攘夷の志士と新選組がちゃんばらをしていた幕末の京都にしか見えなくなって来た。

 前には辰麿と胡蝶さん、後ろには小手毬と鬼灯君が並んで歩く、前では高天の原のお役人の消息を辰麿が聞いている。後ろでは鬼灯君の医学部の話で少し盛り上がった。

 「姑獲鳥産婦人科小児科病院」と看板のある、大きな病院の前を通った時に。鬼の少女とクリチャーが手を繋いだイラストに、「諦めないで、異形の彼氏ができたら、遺伝子検査!」と書かれたポスターが貼ってあった。この前で立ち止まって小手毬は何のことかと見てしまった。鬼灯君に、種別の違う者同士でも、遺伝子検査で子供が出来るかどうかの判断できるのだと説明された。

 小手毬と同じくらいの身長の、可愛い格子の着物を着た女性の鬼と、身長三メートル超えの、筒袖に短い袴の如何にも刑場の勤務帰りの男の鬼の新婚熱々カップルが、手をお繋いでそそくさと病院の中に入った。彼女の持つ藤製の籠の中には綿入りキルティングの敷物の上に、母乳の入った瓶が載せられているのが覗けた。

「鬼は成人身長が一メートルの小鬼から、六メートルの者までいます。鬼の九十八パーセントは成人身長百四十センチから三百センチです。鬼同士ですから遺伝子的には問題が無いのですが、体格差があるので母体に影響が出る前に、人口出産をします。当然嬰児は普通の赤ん坊のように家で育てられない、新生児保育室で厳重管理の元育てます。嬰児が退院するまで、家族は病室で一緒に暮すのです」

 病院前に立ち止まってしげしげと見る小手毬に、鬼灯君は

「ここの女院長は親父の直弟子で、夫と息子も小児科と小児外科では名の知れた名医です。うちの家族は兄貴のところの子供も含めて、お世話になっています。ですが出産するときは、あちらの方をお勧めします」

 官庁も商店もオフィスビルも、二階建て止まりの閻魔通りで、遠目だが六・七階ある目立つビルが建っていた。現世と変わりない四角いコンクリートのビルが見えた。屋上の看板には、「獄立地獄大学医学部付属病院」と書かれていたのであった。

 

 小手毬さんは、地獄大学病院で、出産することを、真剣に考えています、人間なのに。


前話 第六話 日曜日なんで地獄に行ってみた④

つづき 第七話 女神原宿に遊びに行く①

東京に住む龍・マガジン

第一話 僕結婚します
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鎌倉巡り 着物と歴史を少し
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この小説について

「青龍は現生日本に住んでいた。現世日本政府は龍のお世話係で、あの世の支配下にあった。人類は龍君のお嫁さんを可愛くするためだけに進化した。
 青龍は思った
『1億歳の誕生日に結婚しよう。そう20歳のあの子一緒になるんだ。』
 そんなはた迷惑な龍の物語である。」

異世界に移転する小説ばかりなんだろう。みんな現世に疲れてる?でも反対に、異界の者が現世にいるのはどうだろうと思ったのが発想の源です。思いついて数秒で物語のあらすじと、主なキャラクターが思い浮かびました。でも書くのは大変です。



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