編集者に個性は不要?
みなさま、こんにちは。転職活動真っ最中の編プロ社員です。いきなりですが先日ですね、丸投げされた案件を仕上げましてですね。本日はちょっくら、その話をしてもいいでしょうか。
その案件、なかなか厳しいスケジュールを何とかやりくりして遂行したんですね。私、今月は2日しか休めないかなという算段で現在働いておりますよ(しかももう休んだ後)。
そんなこんなでヒイヒイ言いながら仕事をしまして、上司に原稿を確認していただいたところ「あれ? 疲れ目かな?」と我が目を疑わんばかりの、激しい赤字を頂戴してしまったわけなのです。トホー。
そんなこんなで、今日のテーマは「編集者の個性」です。この記事を書くことで、主に私の気が晴れれば……と願わんばかりです。
今回、この記事を書く原動力の主成分は「イライラ、鬱憤、疑問」となっております。いつもnoteを書く際は「編集に携わったことがない人でもわかるように」と、意識して単語の説明を書いております(これでも)。
しかしそのルールに準じると、どうもまどろっこしくなるので、本日は若干不親切気味にサクッと進めたく思いますです(もう既にまどろっこしいな。すみませんです)。
まず、編集者自身もきっちりわきまえとかなきゃいけないんですが、編集者というのは作家ではないんですな。本づくりに欠かせないポジションだし、「どんな本を作るか」は編集者のセンス次第なんですが、でも、作家ではないんですな。
だからですな、監修者や著者がいる記事・書籍を編集する際、編集者が一番大事にしなきゃいけないのは「どう書けば、内容が読者に伝わるか」なのです。
ここ、大事ですよ(※耳元でハスキーボイス再生)。
我々は著者でも作家でもないわけです。「伝える」というコミュニケーションの1つの手段を、最大限、活かすこと。それが仕事なんですな。それを踏まえた上で、ここに、取り出したるは上司の赤字(心の目で見て。心の目で)。
「これじゃ伝わらないだろう」「読者対象はこれじゃわからないじゃないか」「この表現は古い(笑)」「チグハグすぎるね」#さすがにそのままは書けませんので、脚色80%でお送りしております #バレたら大変だもの #まだ社員だもの #やめるけど
アーッ(絶叫)
できあがったものに文句を言うのは誰だってできる。でも、指摘するなら改善案を明確に示しなさいよ、と思うわけなのです。「ここはこれこれこうでこうだから、このように修正してみては?」と。「今でしょ」で有名になった先生も言ってたよ、ウェブのコラムかなんかで。改善点を明確に提示できない時は、文句言わないってさ。
それよりも何よりもだな、一番腹に立つのはだな。
あなたの好き嫌いで原稿に手を入れないで!
このことに尽きるのです。赤字に感情を込めないで欲しいんだなぁ。だって、編集者の感情なんか読者には関係ないんだもん。
ちょっと過激な表現かも……なのですが、私は「編集者が書く文章に個性は必要ない」と思っています。特にメソッドを伝える記事などでは、個性はいっそ、邪魔なのではないかと思っています。マニュアルや取扱説明書なんてのは、極端な例ですがわかりやすいですね。必要事項しか書いていない。
「個性」より「伝わりやすさ」。個性を活かしたが故に内容が伝わりづらくなるのであれば、その個性は排除すべきなのです。
だって編集者だもん。作家じゃないもん。
ね?(ドヤ顔) 所詮黒子でしかない編集者が、不用意に不必要な芸術性をぶっ込んじゃいけない。そう思うのです。ダメ、絶対。
企画が採用された時点である程度、編集者の「こんな本作りたい!」という個性や願望は叶っているわけです。それが売り上げ重視なのか、熱意重視なのかは置いておいて。だったらあとは、いかに読者に伝えるか。
芸術的な文章<わかりやすい文章
なわけなのです。
別にディスりたくないですし、特定の人物のことを言っているわけではないのですが「漫画家になりたかったけど、なれなくて漫画の編集やってる」とか「本当は小説家になりたかったけど、編集やってる」系の人は、結構この傾向が強い気がしています。
私自身、文章を書くことが大好きで、小説も書いていて、幼い頃から文章だけは褒められたので(←だがしかし、これらに固執すると身の破滅)、ともすれば人の原稿を読んで「普通はこういう表現だろうが!」と、理不尽な正義を振りかざしそうになる時があります。己の価値観を常識と思い込み、思いやりのない赤字を入れそうになる時があります。
でも、ダメ、絶対。
版元にとって、納得してもらわなきゃいけないのは「読者」で、編プロにとって、納得してもらわなきゃいけないのは「版元(その先に読者も見据えているけれども)」なんですな。だから版元がOKならOKなんだ。一個人の個性、価値観に準ずる赤字は必要なのかどうか、版元に判断してもらうしかないのです。
編集者はつくづく、感情を一歩引いて見つめる冷静さが必要だなと思う職種です。熱意は大事。でも「好き嫌い」ってどこまで本に盛り込んでいいのかわかんない。正直なところ、いつも手探りで本を作っています。
こんな、批判ばかりの偉そうな記事を書いておりますが、本を作る際は「自分が読みたいか」とか「自分が面白いと思うかどうか」でしか、結局本は作れない……とも思っています。どれだけ読者の立場にたっても、アンケートを頼りにしても、やっぱり編集者は読者にはなれないので。
でも、だからこそ、疑って、信じる。
色々&諸々矛盾しておりますが、そうやって関係各位と擦り合わせていくしかない。その「擦り合わせ」こそ、編集者が一番エネルギーを注ぐべき作業なんだ、と思っております。
ヒー、書きたいことを書きたいままに書きまして、スッキリしました。ここまでお付き合いいただいて、ありがとうございます。「結局どっちやねん!」ともやっとさせちゃったら、ごめんなさいです。
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