「子どもがほしい」がわからなかった話
こんにちは、編集とデザイナー夫婦の夫のほうです。
現在、僕たち夫婦は妊活中です。
そのような状況にあってこんなことを言うのはとてもおかしなことに聞こえるかもしれないのですが。。
僕は、「子どもがほしい」という気持ちがわかりませんでした。
いや、子どもが嫌いだというのではないのです。
むしろ子どもは好きなほうだし、子どもがいる生活というものもありだなと思うのです。
でも、それを「ほしい」という言葉にストレートに、置き換えることがうまくできなかったのです。
僕は1人っ子なのですが、子どものころによく大人から「兄弟がいなくて、さびしいんじゃない」と言われることがありました。
そんな時は「いや、僕、兄弟いたことないから、さびしいかどうかわからないや」といつも思っていました。
なんだか、そんな気持ちにも似ているかもしれません。
それと同時に、子育てに関する様々な情報があふれる中で、
子どもへの責任、将来への不安、そういったものが頭をよぎり、
「自分は子供をきちんと育ててあげられるのか?」そういうことを考えるとなんだか胸のあたりがきゅっとしたりもしていました。
もし、僕に子どもが生まれたら絶対かわいがるだろうな。
いや、子育てでイライラすることも絶対あるだろうな。
きっと自分の嫌な面もいっぱい見ることになるだろうな。
そしてそれでも、やっぱり子どもが生まれてよかったねと思うんだろうな。そんなことさえ想像できるのです。
それでも、「子ども」と「ほしい」はうまくつながりませんでした。
冷静になって考えてみると、僕は無意識に親が子どもを「きちんと育てなきゃ」と思いすぎていたのかもしれません。
少し俯瞰して見ると、
けっきょく子どもなんて親の思うようには育たないと思うのです。
そして、完璧な親なんていうものもあり得ないのだろうと思うのです。
(これを、僕に気づかせてくれたのは妻です)
確かに親は子どもを「育てる」ものではあるのですが、子どもはそんなこと関係なく「育つ」ものでもあるのだなと。
だから、こんなことを言うと叱られるのかもしれませんが、もし僕に子供が生まれたなら、
「子どもと一緒に、自分も生きていく」
そんな風に思っています。
放任するとかそういうことではないのです。
精一杯育てるつもりです。
そしてその中で、楽しいことも、うれしいことも、悲しいことも、いやなことも全部まるっと経験しながら、子どもと一緒に年を取っていけたらなと、今は思っています。
そういう意味では、今も「子どもがほしい」はわからないのですが、「子どもと一緒に生きていく」覚悟はできるようになったのかなと思います。
今回は「子どもがほしい」がわからなかった話でした。
※イラストを使わせていただいた柊木さんありがとうございます。
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