見出し画像

カンケーを楽しむ、カンケーから育つ③

前回のコラムでは、
「関係づくり」が子どもを育てる秘訣、

そして、「関係づくり」においては、
まず「順番」を意識し、
はじめに「約束事」を作ることに時間と手間をかけましょう、
というお話をしました。

わたしとあなたは、
どのような目的で関係を結ぶのか?
これをきちんと言葉にし、
約束事として、ことあるごとに確認することが
重要です。

そうでないと、
メンバーは絶えず「不安」や「緊張」にさらされてしまいます。

というのも、
今のアラサーから下の世代は、
「多様性」がお題目でデフォルト(初期設定)の時代を生きているからです。

「多様性」とは、
◯◯しかない!ということが一切ないこと。

◯◯じゃなくても、
□□でもいいし、△△もあるよ、■■もどうですか?

探そうと思えば
無限の品揃えで、私たちが選択できる世の中です。

学校に通うのが当たり前、はとっくの昔の話。
今はネットによる学校やフリースクールなど、
「学び」の手段、方法もバラエティーが豊かになっています。
たまたま学校という場が苦手で不登校になっても、
探そうと思えばいくらでも学びの選択肢がある、
そんな時代です。

性にしてもLGBTQなどが広く認知されています。
男性は、男性でなくてもいいのです。
女性もまた、男性性を生きることが認められています。
若い世代には違和感なく受け入れられる感覚でしょう。

放課後の部活動だって、
数ある課外活動の中の一つの選択肢、くらいのもの。
いつでもはじめられるし、いつでもやめられる。
大学のサークルに近い感覚なのかな?と思っています。

これ、アラフォー以上の世代のほうが
理解できない感覚かもしれませんね。

多様性が当たり前の世の中は、
「常識」がなくなった世界ともいえます。

たとえば、団塊の世代、団塊ジュニアの世代は、
大多数のマジョリティーとして、
ある種、共通の体験や思考を
(それこそデフォルトとして)感覚的に持っていました。

「常識」は、英語にすると「common sense」=共通の感覚です。

言わないでもわかる。
当たり前。
こんなこともわからないの?知らないの?

常識を共有するマジョリティーは、
「常識(=共通の感覚)」を持たないものを
意識的・無意識的に、排除とまではいわないまでも、
遠ざける傾向があります。
ただでさえ日本人は、同調圧力の強い国民性です。
わからないもの、理解できないものは忌避します。

でも、現代は、その「常識」が通用しなくなりました。
言わずもがな、の約束事を相手に求めても、
相手の生育歴の中でそれを学ぶ機会が一切なかった、
なんてこともありえるのですから。

どこからどこまでを、
私たちは共有しているのか??

多様性社会は、
言い換えると、常識の通用しない、
曖昧で心もとない世の中です。
なんでもありすぎて困っちゃうくらい
選択肢がありすぎるし、
人もバラバラの世界です。

だから、ベースの感情は
「不安」「恐怖」「緊張」。

生徒やアラサー以下の若い職員と会話していると、
この感覚の強さをすごく感じています。
僕の大きな課題意識の一つです。
(これを読んでいるあなたはどう思いますか?
感想をいただけると嬉しいです)

というわけで、チーム作り、関係づくりの大切な最初のステップは
対話してお互いの約束事を作ることなんですね。

言わずもがなのことであっても、
われわれは、これを大切にしていこう!!ということを
確認し、チーム内で安心安全の感覚を最優先しくことに
重きを置きましょう。

今日は、ここまで。
最後までお読みいただきありがとうございました!

PS
noteはじめて3週間になります。
始終outputのネタを考えているので、
脳みそを使うからか、お腹が減りますね(苦笑)
今晩はカレードリアでも作ろうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?