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26での頸椎損傷「事実は小説よりも奇なり」Ⅺ

こんばんは。

今日も1日お疲れ様でした。

サボってて結構間が空いてしまいました。。


夢では相変わらず走り回ったり、怪我前にやってたスポーツを全力でやってたりして、目が覚めると現実に戻りいつも絶望しております。笑

やっぱりちっちゃい頃から20年近くやってきたスポーツから急に離れるとぽっかり穴が空いた気分ですね〜。トラウマでまだちょっと人生の全てだった故、そのスポーツを見る事が出来ないです。。

人生の全てだった競技が急に人生からなくなると自分の価値が0になったようです笑


ま、必ずリハビリを必死にやって復帰して見せますがね!!笑

昔からやってきたのできついトレーニングは大好きなドMな私ですが、ただリハビリ費用やら道具代等馬鹿にならないので心折れそうになることも。。泣      笑


がんばろ!


前回の続きです。

まず毎日の課題で平行棒の間に入り、手を使いながら車椅子から立ったり座ったりを100回というトレーニングを与えられました。

当時の僕からすれば1回立つだけで精一杯なのにそれを100回とは途方もない回数で冗談かと思って笑っていたらマジでした。笑

本当にきつく毎回30分以上かけて汗だくになりながらひたすら続けていました。

膝の使い方、頭の位置、体重移動等普段全く意識したことのない動きを頭で考えながら動かないとできないというのはとても辛いものでした。

でも転院してからの回復の伸びは自分でもビックリし、このスピードで回復した人は初めて見たと言われたほどでした。ドヤ

まず、転院して1週間でベッドから車椅子への移乗は簡単にできるようになりました。

これは支える手の角度、車椅子を置く位置等に慣れれば簡単でした。

これにより車椅子への移乗は介助必要なしの判断が下されました。

1つでも介助が減るというのは思っている以上に肩の荷が軽くなった気分で人間としての尊厳が少し戻った気持ちでした。笑

そして、10日目には下図のような体重を支えてくれる「popo」という歩行器での歩行練習が始まりました。

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無茶ばっかりしていたので、よく筋トレマシンや壁に激突していたのでスタッフの人から「それ70万円以上するからね」と言われ注意されました。そこからはちゃんと丁寧に身の丈にあった自分の身体の許容範囲で歩くようにしていました。笑

この頃からずっととにかく早く帰りたい一心で空いた時間に毎日夜中まで勝手に車椅子の移乗をしたり、支え無しで立つ練習をしたりでしょっちゅう転けていました。

たまたま1度それを看護師に見られて見事注意人物に指定されました。笑

それでも必死に毎日続けていましたが。

そして次はベッド上で自分で服を着替えて靴下まで履くリハビリでした。

これが本当にムズ痒くてとても自分に苛立つリハビリでした。

怪我前までは何気ない1つの行動でしたので。

腹筋が使えないので介護ベッドで高さや角度を調整しながら悪戦苦闘。最初は10分以上かかりました。

しかし2回目では5分で出来たので、早速衣服の着衣のテストです。

このテストに合格すれば毎朝の着替えの介助を卒業でした。

そして結果は2分かからずに1発合格です。

2つ目の介助が必要無しに!

また肩の荷が1つおりました。

そして1番嬉しかったのがリハビリ後はすぐにベッドに連行されていたのですが夕方の17時まで自由に病院内移動の許可がおりたことでした。

後から聞くとどうせ勝手に隠れて無茶するから許可を出してしまおうとなったそうです。笑

これは良かったことなのかどうなのか。。

そして、あと残っている試験は1人で風呂に入れるかとトイレでズボンを下げて便座に座ることが出来るかの2つでした。

2つについてはまた次回、この病院での介助入浴について話してから書きたいと思います。


なんかnoteを書いてるとあっという間に時間が経ちますね。笑

あー!!なんか心から喜ぶことのできる良いことが1つでも良いから起きないかなー!!笑

終わりです。笑

貴重なお時間を割き、最後まで読んで頂きありがとうございました。

皆様にとって明日がより良い1日になりますように。

んじゃまた明日🌸🍀






よろしければサポートお願いします。いただいたサポートはリハビリ費用に充てさせていただき、必ずいつの日か走れるようになるまで回復しご報告させていただきます。完治はないと言われている大怪我...先の見えない努力になりますが必ず克服しこの夢実現させたい。