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舞台『ジャンヌ・ダルク』を観る前に、ジャンヌの人生復習しました。

11月28日から公開される舞台『ジャンヌ・ダルク』

公式SNSの清原果耶さんと小関裕太さんのお写真を見た瞬間、何も考えずにチケットを買いました。
いよいよ公開が迫ってきて、カレンダーを観る度ににんまりしています。
(楽しみすぎてマツパとか行っちゃったりして。)

さて皆様、今回清原さんが演じる「ジャンヌ・ダルク」ですが、何をした少女か覚えていますか?
私は小学校の頃に伝記で読んだ記憶がうっすら残っていて、若いうちに国のために戦い、火刑となった少女だと認識しています。

ぼんやりと覚えてはいるものの、せっかくなら舞台に行く前に復習しておこうと思い、ジャンヌの伝記を読み直してみましたので、個人的備忘も兼ねてジャンヌ・ダルクが何をしたか記録しておきます。

ぜひ、「舞台前にジャンヌの人生を知っておきたい!」という方がいらっしゃいましたらお読みいただければと思います。
(もちろん話の内容をまっさらな状態で楽しむのもまた一興ですので、お好みに合わせてどうぞ。)

!!ご注意!!
諸説あります。
あくまで私の1解釈ですので、情報に不十分な点があってもご了承ください。

(記事のヘッダーに貼ってる写真は悲しいくらい何にも関係ないです。
見栄え重視の悪いところが出ている。)

***
結論から言いますと、ジャンヌ・ダルクは「フランスを勝利に導くために戦った少女」です。

1412年、フランスのドンレミ村で生まれたジャンヌは信心深い、という以外は至って普通の女の子として家族と幸せに暮らしていました。
(ちなみに日本は室町時代くらいです。)

1425年、ジャンヌが13歳の時、神か天使か、不思議な「声」を聞きます。

「ジャンヌよ、フランスを救いなさい。王太子シャルルをお前の力で国王にしなさい。」と。

ん?当時のフランスってなんか戦ってたん?王太子(王様の子供)って王様が亡くなったらエスカレーター式で継承されるもんやないん?と思いませんか?
私もそう思いました。

違うんです。いや、厳密に言うと違わないんですけど、色々大変なことがあったんです。

当時のフランスはイギリスと「百年戦争」と呼ばれる争いを、長い間行っていました。
この百年戦争の原因をざっくり話すと、「王様は誰がなるのか問題」です。
(その他領地の問題など原因は様々ですが、今回は王位継承の点だけピックアップします。)

当時のフランス王は男性しかなることができず、当時の王様・シャルル4世の子供に男の子がいなかったため、次の王様は親戚であるフィリップ6世が継承しました。
フィリップ6世が王朝を継いで順風満帆というわけにもいかず、「ちょ待てよ。」と苦言を立てる者が現れたのです。

イギリスの王様・エドワード3世です。

エドワード3世はなんとシャルル4世の妹の子供で、俺こそが本当の継承者だと主張してきました。
それを認めなかったフィリップ6世に対し、エドワード3世は怒り、兵を送り始めた戦い、それが「百年戦争」です。

シャルル王太子もまた、そんなイギリス・フランス間の王位継承に翻弄されていた一人でした。
(シャルル王太子の時はイギリス・フランス間だけではなく、フランスの間でもゴタゴタしていました。)

なので、素直に王様パパがお空の星になったから、次は子供の君が王様!ということができなかったのです。

話が少し外れてしまいましたが、神の声を聞いたジャンヌはその言葉通り、シャルル王太子と会うために、ドンレミから少し離れたボークルールで守備隊長にお願いしに行きます。
ジャンヌ、16歳の時です。

根気強くお願いに行ったジャンヌは17歳の時、守備隊長からシャルル王太子に会うことを許され、シャルル王太子から戦争に参加することを認められました。
(ちなみにこの時、多くの人に紛れた王太子をジャンヌはすぐに見分けることができ、王太子と二人で話す際にも、誰にも知られていない王太子の秘密を語ったと言います。)

戦うことを認められたジャンヌは、オルレアンという場所に向かいます。
当時のオルレアンはイギリスに包囲されていたために、ひどい食糧不足を強いられていて、地理的にも重要なポイントだったのです。

オルレアンでイギリス兵と戦ったジャンヌは、なんと約10日でフランスを勝利に導き、オルレアンを解放しました。
その後もたくさんの街でフランスに勝利を与え、遂にあの時聞いた神の声の通り、シャルル王太子をフランスの王様にすることができたのです!!

ちなみにジャンヌはまだ17歳、シャルル王太子と初めて会ってからまだ4ヶ月ほどしか経っていません。
(これを改めて知って17歳まじか、、となりました。17歳の私はシーブリーズの蓋を交換して、夏場に太陽の下で無駄にジャンプして写真撮ってた気がする。冬は雪だるまとか作ってた気がする。ああ青春。戻れねえ青春。)

すいません。心の叫びが。

ジャンヌ・ダルクの話に戻ります。
これまでフランスにたくさんの勝利をもたらした少女は、この後辛い人生を歩んでいくのです。

シャルル王太子がフランスの王様・シャルル7世になってからイギリスとの休戦協定に伴い、ジャンヌの軍を解散させられました。
それでもなお、フランスのために戦い続けていたジャンヌは18歳の時、仲間を守るために殿となって戦っていた際、敵にに捕えられ捕虜となってしまったのです。

捕えられたジャンヌは、異端審問(キリスト教に反すると疑いを受けた者を裁判するために設けられたシステム。)にかけられます。
これはジャンヌを処刑するための非常に理不尽な裁判だったのです。

最初は否定を続けていたジャンヌでしたが、「否定をすれば火あぶりの刑」だと脅され、異端放棄(異端をしていたと認め、考えを改めること)の誓約書にサインをしてしまいました。
当時の火あぶりの刑は体が燃え尽き灰になってしまうことから、死後に神の国へ行くため、肉体を必要とするキリスト教徒にとっては考えられないくらい厳重な罰だったのです。
(それでなくても理不尽なことをひたすら言われ、味方も誰もいない環境で責められ続けることは十代の少女にとって非常に辛いものだったと思います。)

異端放棄を行ったジャンヌは男の服装をすることを許されませんでした(当時のジャンヌはずっと男性の格好で戦っていました)
が、女性の格好をしていると、イギリス兵が襲ってくるのです。なんてひどい、、、。
耐えかねたジャンヌは男の服装へ戻り、それが「もどり異端(異端放棄したにも関わらずその約束を破ること)」となり、ジャンヌは火あぶりの刑で殺されてしまったのです。
最後まで十字架を握り締め、イエス様と叫びながら。

1431年、わずか19歳のときでした。

***

あまりにも壮絶な人生。そしてあまりにも短すぎます。
もう少しだけただの女の子としての幸せがなかったものかと、伝記を読み直して見て考えずにはいられませんでした。

ただ、ジャンヌの死後、1456年に異端裁判の判決が取り消され、1920年にジャンヌは聖人(生存中にキリストの模範に忠実に従い、その教えを完全に実行した人)として加えられ、ジャンヌは世界中の人に讃えられる存在となったのです。
(それはすごく良いことだしどうしようもないことは分かっているんですが、ジャンヌには生きているうちに恋とか勉強とかして欲しかった。なんなら一緒にシーブリーズの蓋を交換したかったです。)

ちょっとだけしんみりしちゃいましたが、遂に明日から舞台。フランスのために命をかけて戦った少女が、舞台でどう描かれるか非常に楽しみです。

本当に簡単なことしか書いていないにも関わらず、最後までお読みいただきありがとうございました!!
舞台!!!!楽しみですね!!!!!

<参考文献>
・weblio辞書

・カクヨム「百年戦争」相関図 その1

・カトリック中央協議会 尊者・福者・聖人とは?

・小学館版 学習漫画人物館「ジャンヌ・ダルク」

・講談社学習コミック アトムポケット人物館「ジャンヌ・ダルク」

・集英社版・学習漫画 世界の伝記「ジャンヌ・ダルク」


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