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彼女の話す外国語は日本語かもしれない

彼女の話す外国語は日本語かもしれない
彼女は電車の乗車口で彼氏らしき男にむかってお話してる
車輪が線路の継ぎ目で刻む歯切れのいい音
その音に遮られて彼女のお喋りは途切れ途切れにわたしの耳に届く
穴だらけの彼女の音節はわたしの脳内補正で都合よく解釈されて
彼女の話す外国語は日本語なのかもしれない

海外の名作と言われている映画には
本当はぜんぜん違う意味の日本語字幕が付いてるんだよ
君の目は節穴で画面の向こう側では君の認識とぜんぜん違うものが展開されているんだ

三次元たる奥の細道を照らした光を取り込んで
映写された眼球の中の二次元スクリーンの前で逆立ちした松尾芭蕉が限られた文字数で言葉をやりくりしてレビューしてるみたいなもんだから
どうあがいたって正確性からはほど遠いんだ

古池に飛びこむ蛙みたいな声で
わざわざ鼻にかかった話し方をしなくったって聞こえているよ彼の音
そのほうが喉の奥の粘膜が振るえて気持ちいいんだってお互いに

滔滔と口頭で本当のことを検討する等々
言わないほうが得になることはたくさんある

兎角 言葉は藪の中の蛇とか鬼とか仏とかをつつく
にんじんを目の前にぶら下げた馬の言葉にかどわかされて
詩歌から跳びだしたシカという音は
びっくりした鳩が喰らうはずだった豆鉄砲を喰らって立派な鹿になった
今は過去の経験を活かして
馬の隣で大豆をせんべいに加工する会社に就職している
たしか
奈良公園で

ならこう縁で
結ばれた馬と鹿が
縁からはじき出された人びとのために祈る
いつか耳にした就職活動の紋切り型表現だったり
嘘から出たまことみたいな副産物を期待して面接で話す副リーダーの経験だったり
そういう引っかかりの少ない言葉を利用して躓かないように慎重に
足下を見る
出し抜き合うくだらない社会に
下らないって言ってるのに何で成り下がったんだって言ってやるべきなんじゃないのか!
ダシは抜くものではなく
取るものでしょう? 

そう義憤にかられた烏骨鶏はそんな気の利いた問いを投げかけながら
華麗な千鳥足のステップで可能な限りの地雷を踏んで
奈落みたいな鍋底へ落ちていった

間違いで定着する慣用読みが人口に膾炙することだってあるらシイカら
もしかしたら都合の良い解釈は有効かもしれないよ
烏骨鶏の力説は滑稽に捻くれてその声はどんどん熔解していく

でもそれにしたって
馬鹿のせいで「詩歌」は読めない漢字に成り下がるし不発に終わったクシャミみたいな感じを抱えて生きていく羽目になるなんて許されると思う? 

無いことにされたイの中の蛙は大海を知るよしもないのに
大海を泳ぐ鶏頭には思いつかないことをオタマジャクシの頃から考えている
彼は芭蕉お好みの自然の閑寂を体現しており
声をあげることだけは絶対にしない

蛙の言葉にならない努力は虚しく
空欄は埋まらない
それに返る返る躓く予定の千鳥足のコッケイが鶏卵から孵る孵る
椅子取りゲームの上手いだけの馬鹿が奈落に溜まった羽根まみれの鶏がらスープを飲み込んで胸焼けしてクレームをつける日常
すべては仕組まれたルールで決められたレールの上の出来事だったんだ
電車が駅で停車しようとも 慣性の法則で働いているんだから
すべて悟ったような訳知り顔をするコッケイな千鳥足も
後先考えない馬鹿も
いつまでも止まらないというより止まれない

こうやって言葉をベルトコンベアに並べて動物たちと戯れていたら
もう車両には人っ子一人いなくなってしまった
結局
彼女の話す外国語は日本語かもしれない
彼女の話す日本語は外国語かもしれない
その実体はいずれにしたって
いつまでもわかるはずがない

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