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サントリー山崎蒸溜所で買ったウイスキーの50mlボトルのこと

 お酒好きの友人に誘われてサントリーの山崎蒸溜所に遊びに行ったときには、まだお酒というものを嗜まなかったから、私はほとんどオトナの社会科見学くらいのつもりだった。見学ツアーの最後でテイスティングをさせてもらって、生まれて初めて口にしたウイスキーは、たしかに力強くてふくよかな香りがして、温かい色合いやグラスの美しさも含めてステキだと感じたけれど、強いアルコールは文字通りに喉を焼くようで、とくに飲んで美味しいとは思わなかったのを覚えている。もしこれが飲み物じゃなくて、たとえば麦と木の香りのフレグランスみたいなものだったらよかったのにって言ったら、あれこれ試してちょっと酔っ払った友人に大笑いされた。
 お酒は飲まないけれど、せっかくお酒の工場に来たのだからと、お土産に一番小さなボトルを2本だけ買った。一本は自分のためで、もう一本は祖父のためだった。祖父も当時の私と同じで下戸だったのだけれど、若い頃から収集癖があって、それなりに広い一軒家の一室を丸ごと使って、味も知らない海外のお酒のミニボトルをずらりと並べるのを、もっぱらの趣味としていた。祖父が亡くなったとき、やっぱり下戸な祖母は何年も始末に困って、けっきょくどこかのバーが内装用に引き取っていってくれたと聞いた。
 祖父は人が持っていないような変わったものを、自分だけが持つことに喜びを感じるタイプで、しかもとても気難しかったから、せっかくだからと買った山崎シングルモルトウイスキーの12年とかいうやつなのだけれど、もしもありきたりだって鼻で笑われてしまったら居た堪れないなって思って、けっきょく渡しそびれてしまった。
 祖父が亡くなったあと、同じ2本のボトルのあいだでちょっと迷って、自分のために買って、工場見学をした年月日と一緒に行った友だちの名前をラベルに書き込んだ方を選んで、封を切った。木の匂いがして、ちびりちびりと舐めたら気持ちよく酔っぱらってしまって、悲しくなってたくさん泣いたような気もするし、そうじゃないような気もする。ちょっと泣いたのは確かだった。
 祖父の最期について、私には引け目がある。落ち度はないんだけれど、ほかの誰よりも愛された孫娘だったのに、最期に会いに行けなかったことについて、本当にこれでよかったのか疑問が残っている。見栄っ張りな人だったから、最愛の孫娘に弱った姿なんて見られたくなかったはずだって、最期まで面倒を見てくれた叔母は言うし、私の理性もその通りだろうなって納得しているけれど、感情の方は同意してくれない。その心のもやつきをある程度まで燃やしてくれたのが、祖父に渡せなかった山崎のミニボトルだった。
 たぶんまた身を切るように悲しいことがあったら、次は祖父のために買った方のミニボトルを開けるんだと思う。そのときにも、自分のために買ったボトルを開けた夜と同じように、やっぱり買っておいてよかったなって思うんだろうなって、掃除のついでにボトルからホコリを払ったり、光に透かしてみたりしながら、たまに前倒しで悲しくなる。悲しい気持ちの血が滲んでる部分を、喉ごと焼き切って涙にくれるためのお守りがわりに、下戸の手のひらに隠せてしまう小さなウイスキーは、とても都合がいい。

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