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理不尽でも。摂食障害で失った現実をうけいれると、心が育ちはじめた

低体重から回復してくると、

・学校を休んでいた分、学力が遅れている現実
・休んでいた分、キャリアに不安がある現実
・謳歌できるはずの青春を台無しにした現実

・猛烈な食欲
・ダイエット前まで増えた体重

など、さまざまな「受け入れがたい現実」に直面します。

それが苦しいですよね。

今日はその気持ちについてお話しします。

拒食のときは許し、許されたのに...

拒食で低体重でいた頃は
休んでいても、成績が悪くても、
「今は休む期間だからね」などと周りに言われた。

そう言われると、自分で自分も許せるようになった。


でも、回復する過程で、
体力や思考力がついてきて
食事や体型以外の悩みにも
頭を巡らすことができるようになった。

そうすると、

前は「痩せているからいいか」
と思えたようなことも、

痩せ体型という「心の支え」がなくなると
いっきに心がぐらつく感覚がありました。

きっとみなさんも、あると思います。

だから、本当に回復する段階って
拒食でマイルールに縛られていた時よりも
心が苦しかったりしますよね。

(私はここで現実を受け入れられずに
 過食嘔吐の沼にハマり
 もっと事態は悪化しました…)

理不尽だ、と感じる

摂食障害で生活がうまくいかなくなると
多くの人が「理不尽だ」と感じると思います。

「理不尽」というのは、
「なんで私が?」という感情だと思います。

私は何も悪いことをしていないのに。
むしろ誰よりも努力していたのに。

誰よりも勉強して
誰よりも将来について考えて
誰よりも努力していろんなことを頑張ったのに。

目標のために死ぬほど努力した結果が
拒食になって勉強すら集中できなくなり
入院までしなくてはいけないなんて
耐え難い現実でしかなかった。

私もずっとこの感情で
家族に当たり散らしていました。

でも、誰も治してくれない

カウンセラーになって思うのは、
摂食障害になった原因は当事者自身に問題がある場合は少なく、
多くの場合は今まで生きてきた環境にあります。

でも、悲しいことに
誰も摂食障害を治してくれないし、
学力やキャリアを保証してくれるわけではないんですよね。

克服の過程で治療者や家族は
確かにサポートをしてくれるけど、
自分が前に進むためのサポートでしかない。

結局、行動していかないといけないのは
自分しかいないんですよね。

摂食障害になった現実を受け入れて
そこで失ったものを取り返していくのも、
自分でしかできないんだよね。

その現実が、きつかった。
結局、自分でやらなきゃいけないのか、と。

でも、やっとそのとき。
その現実から目をそらさなかったとき。

私のなかであきらめがついたんだよね。
「今の自分にできることをやっていこう」
って、新しい一歩をあゆみはじめた。

失ったものは、いらないものだった

摂食障害になって失ったもの、たくさんあると思います。

成績優秀な私、
部活を頑張る私、
青春を謳歌していた私

という心の支えを失って
私はどう生きていけばいいかわからなくて
死にたくてたまらなかった。

でも、死にはしなかった。

今思うのは、

失ったものや
できなくなったことって
必要のなかったものだったのかもしれないんだよね。

壊れた人間関係も、
失った学歴もキャリアも
全部、必要のなかったものかもしれない。


むしろ、何もなくなると
本当に大切なものが見えてきたりする。

失って失って失って苦しいけど
それでも手元に残ったものってあったんだよね。

どんな私でも、家から追い出さない家族。
どんな私でも、連絡とり続けてくれる友達。

望まないのに、健康体になった体も、
もしかしたら、使えるものかもしれない。


そういう一握りのものが残っていれば、
私はそれが本物だと思うし
それが本物の心の支えになるのだと気づいたんだよね。

というか、そういうふうに自分に言い聞かせて
なんとか自分を保っていました。

たった一握りの心の支えを頼りに

たった一握りの心の支えを頼りに、
「今できることをやっていこう」と
ダメなりに自分の生活を立て直し始めた。

過食や拒食を繰り返し
毎日嘔吐しながらも

パン作り、ブログで日記を書く、絵を描く….
バイトを始め、
高校をやめ、
大剣をとって、
受験して….

そうやって少しずつ、新しい自分の人生を歩み始めた。

自分に向き合う、というより
目の前の自分から逃げない、という感覚だった。
「やれることをやっていこう」という気持ちだけだった。

摂食障害で失った現実をうけいれたとき、心は育つ


うまくつきあえない家族
面倒だと思っていた友達
標準体重の肉体。

私にとって、無価値だと思っていたもの、
「当たり前」になっていたもの、

でも、そのありがたさに気づいた時、
心の支えになった。

もともとあるものだったのに、
私がその価値に気づいていないだけでした。

その一握りの心の支えは、
社会的に価値のあるものではないけど、
ボロボロになった私にとっては、
十分過ぎる心の支えだったんだよね。

そういう、心の支えに気づいた時、
やっと現実の自分を直視できるようになる。

そして、やっと社会に目を向けることで
摂食障害が回復してきた。

だから、症状回復のためには
心の支えに気づいて、
受け入れ難い現実に向き合うことも必要なんだよね。

苦しいけど、
拒食で失った「代償」を受け入れることも
回復のためには必要だったりする。

許し難い現実だけど、それが自分の人生なんだよね。


そして、理想とは程遠い
自分の人生を受け入れて
今できることを繰り返すうちに
症状のいらない私になっていきました。


そして、自分で言うのもアレだけど
こういう受け入れ難い現実を受け入れる過程で
人間としての器が育っていくのだと思いました。

相手も自分も許せる心が育つのだと思いました。

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