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仕事のスタイルを考えたことはない。満員電車だろうと大渋滞だろうと、終電だろうと真夜中だろうと、若い時は体も丈夫なのか、徹夜明けでも仕事には支障は無かった。年に数回の数えるしかない休みの日と言えば、夕方まで泥のように眠っているだけだ。遊び方の知らない昭和の企業戦士に育てられた兵隊そのものだった。

時は流れ管理者となり社会が新型コロナウィルス感染という世界がパンデミック状態になり、戦争以外での緊急事態宣言が煩累に発令され、経済含めて社会基盤がバージョンUPしていく。こうやってパソコンで仕事をするなんてことも将来に起こりうることさえ予測できていなかった時代だ。時間や場所にとらわれないリモートワークで仕事ができるのである。自然の海や山や川に囲まれながらの郊外の住環境でも、通信環境さえ整えば何も問題は無い。書類などの紙類や写真や映像なども、ペーパーレスでクラウド上にあるので、いとも簡単に携帯電話(スマホ)など、タブレットから呼び寄せることができるのである。

絶対的な通勤ワーク中心から、ライフ重視への働き方へ移行する潮流が動き出したのである。既に大手企業や官公庁などは促進されており、一対一の対話であったとしてもオンラインで解決する始末である。しかも、十人十色、自分らしく自分の好みでのライフに合わせたでワークをこなすことができるのである。

働き方や生活様式が多様化するにつれて、都市部だけではく二拠点となる生活、完全に郊外へ離れて移住することも選択肢として捉え、容易に想像した上で計画を練ることができる。

東京一極集中、支援金制度、ライフワークバランスという言葉が浸透し始めたのは、ほんの数年前である。もちろん女性が活躍している時代という事もある。ちなみに女性が社会進出することになり、アメリカの統計では女性管理職が多い企業では、毎年パフォーマンスは平均で1%向上しているとある。デジタル時代、デジタルマーケティングとして女性の活躍ぶりと出産や復帰という穴埋めとなり得るのが、リモートワークの環境である。育児中であったとしても付加価値を生み出せる仕事環境が継続できる事によって、キャリアを阻むボトルネックは解消される。また、少しづつではあるものの男性が育休休暇を得る時代も、目の前にあり後押ししてくれるだろう。

学区などの問題等もあり無理な移住でなくても、ウィークデーは都心部で働き、金曜日の夜から又はプレミアムフライデーを利用すれば週末はゆっくりと郊外で過ごすことができる二拠点在中も十分可能である。また、そのまま転職として郊外で農業を始めたりカフェなど、すっかり根を降ろす生活を選択肢することが増えているとのことだ。

まさに、暮らし方、過ごし方によるライフを重視したスタイルに目的がしっかりと現実化していることが前提ではあるものの、軸がぶれないようにきちんとした計画が必要である。都市部では近隣とのコミュニケーションなど皆無であったが、地方では濃厚過ぎるくらいのコミュニケーションに驚くだろう。野菜や果物、魚類など、食べ物の物々交換等も煩累にあり、全く予想の無い集落という場の新しい関係を築くことになるだろう。全てがそういうわけではなくても、少ない住民通しでの生活環境になることは間違いないので、否応でもご近所との接点は避けて通れない。むしろ助け合いながらの生活様式になると思った方が良いだろう。

今では自治体からの支援・金銭的援助等もあると紹介したが、それだけではない。移住コンシェルジュなどのツアーもあるくらいだ。自分達にあう条件等で選定できるしくみだと思えば、気軽に相談しても良いだろう。むしろお試し期間ではないが、少しずつアウトドア環境に慣れてからでも、計画を練って良いだろう。

都心部のタワーマンションへの住居の良いところは何だろうと考える時がある。花火大会は十分に楽しめそうだ。後は、勤め先が都心部にあるので近いくらいだろうか。住宅/建築の従事者から見れば、高層階に従って重力に逆らっての生活環境が決して健康に良くないことは分かる。ある時に、小学生くらいの女の子がエントランスホールから住居タワーへ繋がる通路で遊んでいた光景を見たことがある。仄暗いスペースで周りは全てコンクリート造で囲まれていた。たまたま一人だったので心配しながらも声を掛けたが、子ども特有の慢心の笑顔ではなく、覇気を感じない瞳の沈んだ笑顔にドッキリしたものである。我々の幼少期の周りの大半は貧乏だったけど、服装も一年中同じだったような気がしたけど、外で走り回って育って来た筆者から見れば、キレイな洋服を来て高層ビルに閉じ込められている少女が不自由というか可哀そうに思えた。しかしながら、これが現実の環境であることに驚いた。

そう言えば、地方創生のモデルと言われている熱海市がバブル崩壊になっている事を耳にした。熱海と言えば地盤もしっかりして災害にも強い街として有名だったので、観光地としても移住先としても都心部から近いこともあり、大人気だったのです。ところが7月3日に起きた豪雨による土石流の災害で、一気に熱海市全域の風評被害に見舞われ需要を失ってしまったのである。実際の災害事故が起きたのは伊豆山の一部であり、市内とはほど遠い地域であり、しかも人的な盛り土による事故として調査が入っているとか。しかもコロナの感染問題で、夏場の海水浴含め大半の観光催しものは全て中止となり、ダブルパンチで人が消えてしまい深刻な大打撃を食らっているようである。

都会に憧れている内は花なんだろうと思うが、デジタル社会に向けては何を持って都会の喧噪を憧れとするかは価値観の問題なのだろうか。学校教育であってもオンライン化が進むようだ、しかしながら、大学などの社会人と変わらない大人なら問題無いだろうが、そこに行き着くまでの幼少期や中学、高校生では、人と接触するコミュニティ、コミュニケーション、人と係わる社会を通り抜けることが想像できない。あるいはそういう事をコンピューターが変わって、AI知能で対応して行くのだろうか。

学力社会だからと言って学校教育の他に塾三昧の生活では、偏った人格になりそうな気がするのは考えすぎだろうか。。。と、裕福な生活への劣等感かも知れないが、余り非難めいた発言は控えておこうと思っていたが、それさえも遥かに飛び越えたデジタル社会での生活環境が、もう始まっているのである。これは「歪み」と捉えることはできないだろう。列記した人類が作り出した社会像である。

20210920