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旅と仕事と日常と

旅行に求めるもの、目的や過ごし方は人によってさまざま。
わたし自身、旅先で仕事するのもいつもと違う風景でリフレッシュ&気分転換にもなってまあまあ好きです。

例えば、海外旅行に行ってよく行くのは地元のスーパー。
「せっかく海外に来ているのに、なんでこんなにスーパーで長居するの?」と言われるくらい。最近だと、海外に行くにも海外で使えるsimを準備して、行先でもスマホが確認できることは地図の確認や観光情報を知る上でも重要となっている。と、同時に仕事のメールをはじめとする普段のやり取りも途絶えることなく入ってくるし、必要であれば返信もする。
過ごし方も大概日常と変わらないことが多い私だが。実はワーケーションには少し疑問が残っている。
ずっと小さな言葉にならないモヤッととして持っていたようなのだけれど、そのモヤッとの存在と正体を夫が明るみに出したのだ。

つい先日。たまたま家庭でワーケーションの話題が出た。夫は初めて「ワーケーション」という言葉に触れるようで、わたしが簡単に解説をして
「最近、注目されているみたいよ。○○(有名観光地)とかも仕事のできるコワーキングスペースがあって…」と一通り話すと。
「え?仕事とか持っていかずに景色とか味わう方が良くない?」
と言われ、それも確かにそうだと思った自分の納得にモヤッとの自覚とその正体が晒された。

思えば、旅行って何のために行く?
そこまで追われる仕事って何だ?
景色云々はともかく、フィールドワークもある種ワーケーション?
とか。
しばらくはぐるぐると頭の中を色々な理想と現実と思考が錯綜した。

決してワーケーションを否定するつもりはなく、単にわたしはそのスタイルが合わないだけなのかもしれない。
そもそも、いつでもどこでもやろうと思えば仕事のできる態勢が作れる今。
「テレワーク」の細分化か?ともとれる。
旅と仕事を対立させることに意味もない。
旅の間中、仕事が気になるよりは適度に仕事との関わりを途切れさせずにいるほうが安心感を持つことができるのかもしれない。
選択肢が増えていることが良い、ということかなと思う。

ただ、言葉はより的確に表現するべく具体化していくと分断を生むリスクもはらんでいる気がしている。
そのリスクにも意識を向けておこう。


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