ゆもとりえ (あわい舎)
未来の予定管理だけで終わらせるのはもったいない! 風の時代に乗る生き方は自分を知ることから。 手帳をつかって自分を知るための活用法をお伝えします。(不定期連載)
とことん本気でゆるく、楽しく活動する、文化人類学やその辺りの知見・身の回りのテーマで面白いことを企てる実験の場。 「井戸端人類学 F2キッチン」について書いたものを集めます。 ※ 公式的なものではなく、関わる一人の個人として書くので、記事の中には個人の解釈も含まれます。 ユニット名の由来は京都文教大学人間学部文化人類学科(1996年~2013年)の研究室フロア、普照館 2階のキッチン。 このマガジンにいただいたお金はカンパとして、井戸端人類学 F2 キッチンの活動に充てますので、大歓迎です。
2019年8月に行った香港/深圳フィールドワークについて書いた、思い出し書きです。デモ真っただ中の香港と急発展を遂げていると言われる深圳を歩いて感じたこと。
2018年に個人事業主として ecorazón(エコラソン)という看板でスタートして2023年の今年、5年目となりました。 おかげさまで、色々あるけど多くの方の助けや応援で楽しく続けることができてます。 5年ほどやってみて、やっていることも目指していることも、ベースは変わらないのですが、表現を少し変えてみようと思い、屋号を変えることにしました。 「あわい舎(あわいや)」本日より「あわい舎(あわいや)」という看板で第2章を始めます。 今年に入って、変えようと思いついてから色
手書きの手帳はノートを手書きしなくなった大学生が「書き出す」 「まとめる」の習慣化に活用できるのかもしれない。 いきなりメモを書けとか言われても何を書けば分からない人も多いし、普段手で書く機会が少ないからまとめるのも苦手な人が多い。 https://365pasos.studio.site/
普段、手帳の使い方やスケジュールの組み方についてご相談いただく時は「休み」と認識しているものは「余暇を楽しむ(例えば、ショッピングやドライブ、友人に会うといった)休日」と「休息(身体を休める)」のどちらであるか、を意識するようにお伝えしています。 余暇も続くと疲れを引きずってしまう可能性があるし、休息だけだと「何もしてない」という気持ちが出てくる可能性があるからです。 最近このような話題を知りました。 休みには7種類あるそう。 どんな休みとして楽しむのかは意識することで
この夏、夜明け前に停電に遭った。 暑くて目が覚めるのはこの頃よくあることで、半分夢の中のような状態でタイマーの切れたエアコンか扇風機を回そうとスイッチに手をやる。 だが、動かない。 異変を感じるが起きがけだからか、しばらく何が起きているのかがよく分からずに狼狽えるばかり。 スマホのライトを頼りにブレーカーを確認して、ようやく停電ということに気づいた。 以前も一度体験したことがあるので、静かに復旧するのを待つしかない。 改めて、部屋で佇みながら「電気が止まっている」以外に
9月。文化人類学者の金セッピョルさんとアーティストの鄭梨愛さんとの対話から生まれた「死を肖像する」の展示が気になっていた。 しかし、会場までの移動を考えると、今回は行けなさそうだなぁと思っていた。 けれども。某日。 あれ。 仕事終わりにちょっと足伸ばしたら行ける…… と気づいて、行った。 会場の最寄り駅を降りると、眼前に広がる青、碧、蒼が美しい。海と空を見ながら少し歩くと、会場。 中に入ると、コンクリート打ちっぱなしの壁のモノトーン。静かな空間。 そこに据えられた大き
人生のなかで「ガビーン!!!」と言いたくなるようなことがある。 わたしはつい先日あった。 わたしの場合、ある文章を書いていた時。 前の日にサクッと消した文章が、書き進めるうちに実は結構必要だったかもと気づいた時だった。 夜で家族は寝静まっているから「聞いてーーー!」と分かち合えず。 ガビーン、と頭の中で叫んだ。 家族がダメなら、とSNSで呟いたくらい、誰かと分かち合わないとやってられないくらい、真夜中のガビーンは自分の中では衝撃だった。 「なんで、なんで、なんで、消さ
やるのを渋っていた梅干しづくりをやってみた ここ数年、自家製で作るのが楽しくて味噌や梅シロップなどを毎年作っているけれども、気になりつつやっていなかったのが梅干しづくり。 土用干しがとても面倒なものに見えていたからだ。 今年、ついに梅干しを初めて作った。 今年の梅は不作だったそうで、価格も高め。 まだ過去に漬けた梅シロップは少し残っているから、シロップづくりはスキップしようとも思っていたので「今年梅仕事は休みだな」と思っていたのだけど。 ある方から「梅干し作りませんか?
2025年版はコラボカバーも登場します!
むちゃくちゃ、余談だけど。 新書のちょっとしたキャラクターが最近気になっている。 TOPにした、集英社新書から先日発売された勅使川原真衣さんの<働くということ「能力主義」を超えて>を読み終えた。 勅使川原真衣さんは前著<「能力」の生きづらさをほぐす>で、これまでのモヤッとしていたことを教育社会学を用いながら語っておられ、その後書店イベントで素敵なお人柄にもふれ、注目している方の一人。 今回の本も楽しみにしていた。 わたしは読みながら、自分の暗黒時代のことを思い出した。
夏至が来て、満月で、という満ち満ちなこのタイミング。 そしてもうすぐ、一年の折り返しがやってきます。 最近「ここから秋分までの期間がとても重要」という話題をあちこちで見かけます。 少なくともわたしにとっては、とても重要なようです。 数日前から、迫ってくる感じがヒシヒシと。 今年の後半はひとつの正念場だなという感覚があります。 みなさんにとっては、いかがでしょうか? 毎日をしっかり振り返るのは、忙しい暮らしの中で難しいけど。 節目に振り返るのは、その次の節目をどう過ごすの
先日、町内会の役で地域のふれあい事業に参加した。 実は2,3年ほど前からずっと役には当たっていたので、やっておられるのは知っていたけど。 先の社会情勢で事業はやっているけど、来なくて良いと言われ、今年ようやく本格再開するので、とお声がけいただいた。 初参加にして提供側。 来てみてわかる温度と空気。 どんな方がどのくらい来ていて、そこでどのように過ごすのか。 その日は盛況でスタートから終わりまで、ずっとたくさんの人がそこでの時間を楽しんでおられた。 ちょうど「客観性の落と
ふと思い立って行動することがよくある。 過去にも急に「明日〇〇という所に、午前中いる予定なので良かったら、来てください。お茶しながらお話でもしましょう」とSNSで告知してみたり(そして、誰かが面白がって来てくださることもあった)、誰かからの「明日〇〇に行くけど、良かったら一緒にいかが?」といったお誘いに乗っかることもある。 きっかけは色々だけれども「あ、今風が吹いた」と感じたら、色々と考えずに飛び出すことにしている。 そういえば、過去に書いた「勝手に運命を感じてみた」話もこ
今回GWに3度目のパルケエスパーニャへ! ドン・キホーテよ、お久しぶり! 大学の時は第二外国語として、スペイン語を履修。(でも全然話せません) フラメンコを始めて、細々ながらも足掛け20年近く経っている未だにスペインには行ったこと無いけど、パルケエスパーニャには2度ほど行ってます。 わたしが過去に行った時はGWのど真ん中ですら、園内で人とほとんどすれ違わない(すれ違うのはスタッフさん)、カフェやレストランは一部休業のお店もあるし、パレードやフラメンコショーは出演者のほうが
先日、数年ぶりの町内会に参加した。 総会だが参加する人は少ない。 思いきりわたしは最年少(まだ最年少でいられる場があった!)。 そこにいる方々の想いや課題などなどお話を聞くことがメインだったが、久々に色々と考えた。 急には繋がれない平時はただ面倒な繋がりかもしれないけど、何か有った時に急には繋がれない。 でも、その何か有る時のために町内会費を払い、行事に顔を出したり労力を割くことが負担を感じる人の気持ちも分かる。 わたしも以前は朝早く職場に向けて家を出て、帰宅は夜遅い生活
カレンダーアプリだと、書ける量はほぼ無制限だ。 アナログ手帳だと、手帳の大きさや各スペースの広さで人によるけれど、書ける量が決まってくる。 書ききれないほどの予定がある時は、1日の予定をとにかくこなしていく流れ作業のような日々に陥ることもあるので、意図的に予定を減らす必要がある。 他の記事でも提案している「1日の予定を3つにする」ことも、そのひとつ。 もうひとつは「手帳のサイズを再考する」 手帳を選ぶ時に「自分が一番書きやすい文字サイズ」を考慮しながら、予定を書くスペ
気分が少し下り坂な時に時々とんでもなくくだらないことが頭を過る。 今日は「そういえば、ボタン押したら効果音なるおもちゃあったな。ピューーーン、ドカーン!とか。」ってな感じ。